今日は、否定したくなる事について、チョッとね
じぶんのなかにも
否定
否定したくなるコトは多いが、自分の中にも
自分の中にも、同じ要素はあったりする
立場が真逆であっても
要素だけ取り出したなら、同じと言うコトは多い
どうしてそうなるのだろう
結局、人間だからだと思う
同じ人間なので、出てくるモノも同じようなモノばかり。共通
そこは共通していて、人間である以上逃れられない
人間の範囲でしか、いろんなコトは生み出されない
要素は共通している。でも、対立する立場で真逆の考えにもなる
対立の関係ではある。ただ、よくよく訊くと、言っているコトはさほど違わない
それはよくあるコト。ただ立場で、対立しているだけ
とすると、とてもマヌケ。少し離れた所から見れば、同じようなヒトがどうでも良いコトで、争っている
要素は同じで、ただ争ってる。大した違いはない。それでも争ってる
しかもそれをくり返してる。何千年もくり返す。全く学習しない
学習しないというのも、同じ要素。大きい代償は払っている。それでも学ばない
同じ要素を持っているモノなのに、否定しすぎるのだと思う
対立の関係になり、全否定する。この全否定や、対立がマヌケなのだと思う
その必要がないのに、対立している。否定しすぎている
否定する部分は否定しても良い。あくまでそれは、部分。対立は全否定
所詮同じ人間。そこからは逃れられない。必要なモノを奪ってはいけないし、奪われたくもない
奪われると、生活出来ない。そういうモノを奪っちゃいけない
やりすぎてしまう。やらかしすぎてしまう
それこそが、人間の共通する要素かもしれない
いつでもやらかし過ぎてしまうので、ブレーキの意識が重要かもしれない
否定しすぎてしまうので、肯定の意識が必要かもしれない
同じ人間なので、出してくる要素も同じ。であるなら、間違いを起こす要素を、最初から意識下に上げる
意識下に上げて、その要素に対応するように
何千年も同じ間違いをしているなら、もうそろそろ学んでも良い
学んでいく為に、意識下に置く。そのうえで、間違えないように肯定を増やして、ブレーキをかける
マヌケから、抜け出すタメに。その方法論
自分の中にもは、要素。良いコトをくり返すなら良いが、間違いをくり返すのはチョッと。やらかし過ぎるのも、共通
確かに一歩引くとマヌケだよね。否定しても、自分の中にもあるからね。困ったね。ずっと昔から同じ間違い。まいっちゃうね。コレからもくり返す。しょうがない人間だからね。でも、そうなりたくなかったら、否定をしすぎない。相手も大して変わらないと意識するコトじゃないかな。人間なんて、目くそ目くそ。もしくは、鼻くそ鼻くそ