今日は、価値についてチョッとね!
いのちがね
剥がしてはいけない
いのち金は、剥がしちゃイケない。持たせないと
おカネって、持っている量で意味合いが変わる
少なければ少ないほど、生活に。そして命に影響してくる
お金は多く持てば多く持つほど、欲望に、そして気分を埋めるようになる
おカネの量によって、ヒトが求めるモノが明らかに変化する
おカネの役目も変わっていく
行政も、命に近い部分は剥がすべきじゃない
行政のスリム化が叫ばれている。現在の行政は、無駄が多い
としても、安易に何でも削減して良いモノではない。見極める必要がある
命に近いモノは、剥がしちゃいけない
おカネは同じ。でも意味合いはたえず変わる
量によって、おカネは役目をちょろちょろ変えていく
自分にとってのおカネと、他のヒトにとってのおカネの意味合いは、違う
同じだと思っちゃいけない
持っている量によって、役目はだいたい分かる
その変化は、みんなの共有の知識として、持っていても良い
持ち金が少なければ、直接命に関わる所
食べ物や、衣服、家賃などで、そのほとんどが占められる
少し余裕があると、遊びや、気晴らしの為に使われる
さらに余裕が出てくれば、生活をグレードアップする為に使われるようになる
家を持ったり、高い車に乗ったり。服や食べ物も高価なモノ
さらに持つお金が増えると
欲望を満たす為に、お金を使うようになる。見せびらかしたり、気分でおカネをバラマキ出す
何でもおカネで、解決すると思い込み、おカネに依存した生き方になる
だいたいこんな流れ。これは誰でも、ウソみたいにこうなる
これは共通した知識として、持っていても良い。日常的に起きているコト
ボワっとして分かり難いが、実際に起きているコトなので、カッチカチに分けてしまえばいい
その中で、いのち金に近いヒトのおカネは、剥がすべきではない
誰でも起こるコトなので、それも共通認識として、持つべき
さらにいえば、いのち金に近い基準のヒトが、持てるように促す
持てるように、流していく。その仕事をつくっていく
おカネと言っても、流すか流さないかはコントロール出来る
いや、本来ならキッチリと計算して、流すべきトコロに流せばイイだけのコト
それがルーズになって、まるで労働力を商品のように計算しているトコロに、間違いがある
経営者は、ルーズなので、流させる必要がある
いのち金に近い人が多いほど、その経営者は、恥ずかしいと思わないといけない
経営者がお金を持ちすぎているのに、働き手がいのち金程の給与なら、その企業はみっともない
流せるのに、流せていない。お金は流してしまえばいい
持ったモノは、その責任を果たさないといけない。持ちっぱなしなのでおかしくなる
持ったモノの責任に関しても、自由すぎる。本来、おカネを持ったモノはその責任を果たす義務がある
その義務を考えてこなかったのが、問題と言える。野放し過ぎだった
特に余剰金を持つモノは、その責任は重い。おカネの意味合いは、いつも違って来る
役目や義務も、持つお金の量によって、変わらないといけない
そこがルーズで、いのち金を剥がそうとしたり、持ちすぎる人間を野放しにしたりする
持つおカネの量によって、その意味合いが変わるという事実が、まだ掴めていない
共通認識にしないと
いのち金は、最優先。守らなければイケないモノ。それを決めるのは持ち金の量。共通認識にして、役目と義務を
役目と義務ね。全く義務なんて考えもしない。気分のままに浮かれて、落ちぶれる時はざまあみろって。こんなコトの繰り返し。みんな同じ失敗をくり返すね。自分に起こるコトなのに、分からないんだよ。だって、持ってる量が違うのに、同じ意味合いに考えているんだから。お金は持つ量で、意味合いが変わる。持つヒトのするべきコトも、変わるべきってコトだね。他人ゴトじゃなくて、あらゆるコトは自分ゴト