今日は、世界の見え方について、チョッとね
みえてる
世界
同じなのに、見えてる世界って実は変わっている
見えるって、そのモノを把握するってコトでもある
例えば、自分より大きいと思うか、小さいと思うか。大きさは同じでも、感じ方で違って見える
物事も、出来るヒトが見る場合。出来ない人が見る場合で、見え方は様変わりする
全く同じモノ。ただ、受け手の状態によって、違って見えてしまう
出来るヒトにとっては、物事はとてもカンタンで、小さく見えてる
で、重要なポイントだけ、強い印象で浮き上がってる
出来ないヒトなら、大きく見え、どこをどうすればいいのか。焦点は定まらない
全く同じモノ。それがそれほど別物に
出来るか出来無いかの違いだけ。それで様変わりする
ただ、最初から全てのコトが、出来るというヒトはいない
最初はみんな出来ないトコロから始まると、考えてイイ
とすると、出来ない時から出来るようになるまでに、徐々に見え方は変わっている
少しずつしか変わらないので、気づきにくいけど
見え方も変わっていく。そこは意識しないので、いつの間にかってなる
いつの間にか、世界って変わってる。それなりに成長して、見えてるモノも変わる
見えてるってなんだろう。何を見てるんだろう
大きく見えたり小さく見えたりするんだから、関係性
自分との関係性を見てる。関係性によって、自分がするべき行動も変わる
出来るモノはとても近い存在だし、出来無いモノはとても遠い
関係の距離も変わる。関係が近いなら、自分の行動もちかしくなる
余計な緊張はしないし、するべきコトだけを淡々とこなしていくだけ
普通になるし、日常。その物事は特別じゃなくて、日常
出来ない時には、普通じゃないし、非日常
非日常から、徐々に日常に変わって出来るようになる
もしも、いつまでたっても非日常なら、それはただやり方が悪い
日常になるように、その方向に行くやり方に変更する必要がある
どうすれば親しくなれるか、日常になれるか。そう見える方向が、正しい方向
関係が変わって、見え方も変わる。求める見え方、そちらの方に
見え方って、正しく進んでいるかの指標にもなる
いつまでも親しくなれないなら、やらない方がイイ
間違ったやり方を続けて行くのって、時間と労力の無駄だからね
見えてるは、把握。非日常から、日常になるように、身につけていく。出来るって距離を縮めるコト
なんでもかんでも、距離縮めりゃいいだけか。どうしても苦手なモノって、遠ざけちゃうよね。それが間違いなのかな。実はこっちから距離を置いているのかもしれない。それじゃいつまでも出来ないよね。何でも距離縮めりゃ出来る説。どう見えてるかで、現状も確認出来る。親しくなれる方向に向かえばいいのか