今日は、公務員の落とし穴をチョッとね
こうむいんびょう
既存
既存のコトをすれば、給料が貰える。それで、公務員病になっていく
先日とある市長と、ツイッターでやり取りするコトが出来た
その市長は、若く革新的な人物。ただ、ザンネンながら公務員病になっていた
公務員というのは、既存のコトをすれば、給与が貰える
それさえしていれば、給与が貰える
それ以外のコトをしても、給与が増えるワケでもない
逆に失敗すれば、責任問題になる。なので、既存のコト以外はしない。これが公務員病
ここから起こってくるコトは、よく言われる”ヒトが死なないと、何もやらない”
ヒトが死ぬようなコトが起こる前には、それなりの予兆がある
その予兆のウチに対処していれば、未然に死も防げる
ただ、それが既存のモノでなければ、公務員は何もしない
そこに危険があり、周りの人が声を上げているのに、動かない
本来は、テーマがありソレに沿って動いていく。公務員という存在が、何をすべきかがテーマになる
テーマが分からなければ、動けない。そのテーマってカンタンで、真っ先は命
命に関わるコトは、最優先で対処する。その対処におカネや人員を割くコトは、みんなも納得する
公務員が当然するべきコト。それが分かっていれば、ゼロから公共の機関を作るコトも出来る
何をすべきかが分かっているので、ゼロから作れる
でも、公務員病のヒトに、その能力は無い。ゼロから作れない
さも既存のコトだけで、完璧にこなしていると思い込んで疑わない
なので、命に関わるコトであっても、動こうとしない。他人ゴト
自分のコトとして、考えも出来ない。その自分たちの姿を、疑いもしない
とても低い意識。それが当然とばかりに、信じ込んでいる
使命感や、役に立つ存在ではなく、ただ既存の仕事をこなす
それが公務員だと、疑わない。お役所仕事にもなる
何をすべきか、何をすべきではないか。その定義の中から、命をほっぽり出しても平気でいられる
真っ先にすべきコトを、放り出しても全く平気
私がやり取りした市長は、若手で革新的。にも関わらずそんな状態
もしかすると、普通はそうなのかもしれない。私はわかる。でも、他のヒトは分からないのかもしれない
ヒトそれぞれ能力が違うので、これはある特定の人にしか、備わっていないのかもしれない
他人の痛みを、自分の痛みに出来る能力。起こるべきコトを想定して、事前に対応しておく能力
そう考えれば、疑いもせず主張出来るのも分かる。悪気はない
あとは、そういう能力のヒトが、公務員で良いのかと言うコト
お役所仕事だったり、”誰かが死なないと、なにもしない”で良いのかってコト
革新的な市長でさえ、公務員病。能力的にも、他人の痛みを自分の痛みと出来ない
それで仕方ないとするかどうか
少なくとも、公務員は既存のコトしかできない。しようとしない公務員病
公務員病であるコトは、間違いはない。優先順位も分からない。必要性も分からない存在
悪気はないのだろうけど、市民の感覚とは違う。役に立つ存在ではなく、ただ既存のコトをするヒト
既存以外のコトはしない。やるべきコトであっても、素通りしていけるヒト達がやっている
公務員病は、日常。当然のように存在。当人もそれを疑わない。必要であっても何もしない。これからもそれは続く
カネ貰えたら、他には何もしないよね。カネ貰えなかったらどうだろうね。既存のコトしても、大してカネ貰えない。そしたら、一生懸命探す。どうも、安定して給与がもらえるコトが、公務員病の原因だよね。どれだけ役に立てたかで、給与が変動するようになれば、公務員病は治るんだろうけどね