えすかれーしょん

にちじょう

今日は、私の考えが、どれだけせせこましいかってコトを

にちじょう

異常にしたがる

異常にしたがるけど、全部のコトって日常

私とは違うって思えると、考えなくて良いんだよね

私とは違うから。異常だから。それで、さげすんで終わり

それはラクなんだけど、それで良いのかな

異常と置いて、考えないようにしてたコトも、日常なんじゃないの

どんな状態でも、状況でもそのヒトにとっては、日常

全ての状況って、日常なんじゃないかな

つまりは、他人ゴトにしちゃダメってコト

異常とか、正常とか確かにあるとは思う

でも正常だからといって、異常だからといって、日常から離れるモノじゃない

住んでいる世界から、別の世界に行くワケじゃない

全てのヒトが日常の中にいる

日常の中にいて良い。それなのに異常にして、疎外してた気がする

私がラクをしたい為に。疎外して、考えないようにしていたのは、事実

全てが日常に置かれれば、考えないといけない

正常でも、異常でも、その全てが日常で考えるべきコト

日常だから、起こりうる。私にも起こりうる、一大事

私にも起こりうるコト。さて、その上でどうしよう

自分では、おそらくどうするコトも出来無い。何かするコトが出来るような、簡単なコトじゃない

簡単なコトであるなら、さすがに異常とは置かない

異常と置いてしまうからには、それなりに手に負えないようなコト

さて。どうしよう

それまでは、疎外していた。異常なモノとして、疎外してラクをしていた

疎外だけでも、やめていこう

それだけでも、ずいぶん違う。日常にして、そんなコトもあるって

そんなコトもあって、大変だねって

異常としてたモノが、私にも起こりうるコトに

そうすると、いろいろ変わる。日常に入れ込んだ段階から・・・・、正常って考えも揺らいでいく

正常って、結構疎外したい線引きに影響してる

裏で糸を引いている、黒幕。私の中で正常と位置づけていた存在が、実は黒幕っぽい

正常っていう考え自体、そもそも残酷

最初から、疎外する要素をはらんでいる

そんなコト考えもしなかったけど、実は正常こそが、黒幕だった。疎外を生んでた

正常でも異常でもなく、どんな状態でも日常

日常は平穏。そう思いたい。でも、いろんな事態に陥る

それも実は日常。全てが日常で、私にも起こりうるコト

他人ゴトにしちゃイケないコト

日常の許容量は広い。今まで見ていなかったモノ、見ないようにしてたモノ。それも日常

起こりうるコト

私にも起こりうるとした段階で、不思議とリラックス出来る部分もある

凝り固まっていたモノが溶けて、ずいぶん力が抜ける。それで良いんだと思える

否定だったのかもしれない。否定を生んでいたのかもしれない。正常と異常こそが

日常にしちゃえば、もっと多様になる。バラエティ豊かになる。そして解放される

今とは違う、解放。今とは違うラクさ。それって当然。だって、どんな状態になっても疎外されない

疎外される恐怖から、解放される。それって、すごくラクでしょ

視点が変わる。視点が広がる。見ないようにしていた闇を、うちやぶれる

異常とか、正常って考えが、闇を作ってた。その闇が、恐怖を作ってた

日常にするコトで、闇は払拭され、恐怖から解放される

私の中の闇。それはラクをしたいが為に、私が作っていた

日常は、真実。自分を守りたいが為に、闇を作る。その恐怖を克服する。克服する為に、疎外を捨てよう

異常にして考えないようにしてたその行為が、恐怖を作るんだね。自分がそうなったらイヤだからって、考えこそが。でも、日常にして起こりうるモノとすると、恐怖はなくなる。だって、しょうがないじゃんて。しょうがないって思えれば、疎外もしない。疎外の恐怖からも解放されたら、本当の意味で、癒されるのかもしれないね

-えすかれーしょん