今日は、人とヒトとのぶつかり合いを、軽減出来ればと思って。そのコトを
かてい
無駄
自分の生きてきた過程が、無駄になったとしたら
自分が生きてきた過程。それが無駄だとなったらやりきれない
自分がなんの為に生きてきたのか。自分はなんだったのかと
つまりは、自分の存在の否定に繋がる
生きてきた過程って、人生全体の何分の1かではある
全部じゃないけど、やっぱりその分の存在は、否定されるコトになる
これはとてもイヤなコト。なので、そんなコトをしたら、ものすごい反発を受ける
その反発は手に負えない
だからそれって、得策じゃない。どんな酷いコトをしていても、生きてきた過程を否定しちゃマズイ
酷いコトをしていたら、肯定するコトはないけど、汲んで上げたい
酷いコトをしてしまったのにも、事情があるかもしれない。それを汲む
事情がなくて酷いコトをした場合ってのも、考えられる。ま。その場合も極力否定しない
生きてきた過程を否定するコトは、それだけやっちゃイケない。得策じゃないね
生きてきた過程は、出来る限り肯定したい。その方がスムーズにいく
スムーズに行かないと、物事って本当に進まない
スムーズに行くように、生きてきた過程は肯定するのが得策
その上で、否定すべきコトは否定
全否定したくなるよね。でも、そんなコトをしちゃ進まない
スムーズに行く為には、汲んで、否定する所だけ否定
それで、その後どうするか。それを一緒に考える
一緒にね。これが重要。否定するだけで終わったら、他人ゴト
他人ゴトは無責任すぎる。自分のコトとして、責任持って考えないと
否定したってコトは、それだけ関わってるってコトだから、それなりに責任を持たないと
悪い奴見つけて、後ろから石投げてる卑怯者になっちゃう
卑怯者にはなりたくないでしょ。だったら肯定する所は肯定
汲んで、肯定して、否定する所だけ否定
で、どうするかを一緒に考える
その姿勢で組み立て
肯定と決めて、論を構築した方が、物事も明確に分かる
否定は、何も考えなくても出来ちゃうから、物事なんて分からない
しかも抵抗されるから、話も進まない
無責任に責めてるばかりじゃ、駄目だってコトだね
過程は、存在。生きてきた過程は否定しない。心構えや、考え方だね否定するべきは。ヒトって、存在してるコトに、相当執着してる
存在したコトへの執着。確かにそこがなくなると、なんの為に自分がいたのか分からない。その意味は持ちたい。そうじゃないと、自分は要らなかったってコトになる。それはコワい。そこは肯定してあげないと。要らないなんてコトは、実際ないし。みんな世の中を豊かにする為に、虚無で無くす為に必要なんだからね