じだいごえ
争い
そこだけ
争いはそこだけで、時代越えはしない
この社会だと、激しい能力争いが好まれる
その中で、自分の能力が優れていると、自惚れるヒトも多い
でも、時代越えはしない。時代を越えて、競争しようとはしない
もちろん相手は死んでいる。大昔のヒトと、直接競争は出来ない
ただ、自分が優れていると言うのだったら、過去のヒトと競争したって良いと思う
その意識があっても、良いと思う
確かに古い文献の内容は、事実なのかは怪しい
競争なら、正確に計測出来ないと
能力を比べ合えない。だから時代を越えて、比べ合わないのだろうか
う〜ん。それも違う気がする
多分その必要がない。その必要がないと言うより、その気持ちが起こらない
能力があるヒトが、過去にいたとしてもそれは、イヤな気がしない
あくまで、今現在において、自分より能力があるニンゲンが気になる
その、気になる。イヤな気がするというのは、駆逐したい衝動
駆逐したい遺伝子。その遺伝子が、そうさせる
みんな生き残ってきた。生き残ってきたというのは、奪い合いにも勝ってきた
勝ってきたというのは、他者を駆逐
その駆逐の遺伝子がある。そう考える
奪い合う時に、相手を駆逐する。その遺伝子のうずきを、汲むように能力を誇示したくなる
生き残りの為に、高い能力を求める
それが原点なら、大昔のヒトと競争する必要は無い
生き残りは、現在での奪い合い。もう存在しないヒトと、争っても仕方がない
結局、それだけのコト。競争などと言っても、生き残りの欲求に従っているだけ
時代越えはしない。そんなところまで、意識はいかない
そんなものかもしれない。みんな場当たり的に生きている。その場を一生懸命生きている
それだけのコト。そしてそれは必要なコト。やはり生き残らなければいけない
その遺伝子に従うのは当然。納得いかない結論だが、それだけに自然
深いモノはない。真っ当でストレートな現実があるだけ
時代越えは、必要ない。生き残りの遺伝子に従って、場当たり的に生きている。もっと言えば、優れてなくても生き残れれば勝ち
生き残りの為か。その為に、みんな必死になって比べ合う。遺伝子に従っているだけ。自分の欲望のまま生きているようでも、過去からの戦略に従って生きている。先祖からのチーム戦か。先祖の智慧を借りて、生きている。生き残る為の、指令が競争をさせているんだね