きょり
何かとじゃない
誰かとでもない
何かや誰かとじゃなく、自分との距離
いわゆる自分の中の自分の話
最初は、自分と距離0から始まる
経験を重ねて、いろんなヒトを知ると、自分自身を冷静に見つめられる
自分と距離を置いて、見るコトが出来る
他人と比べて、自分の振る舞いはどうだったかの、自己評価
他人の行動から、自分のあるべきイメージを作っている
そのイメージから、どれ程かけ離れているか。それで評価する
自分の行動を、自分で冷静に見るようになる
そうすると、してしまう自分に気づく
自分の行動は、自分でコントロール出来ると思っている
確かにそれは間違いない。ただ、惰性で動いてしまう。勢いがつくと、急には止まれない
自分の行動を、急にひるがえして逆に動くコトが難しい
それは他のヒトの目があるから
もしも自分ひとりであれば、真逆の行動をとるコトは出来る
でも人前だと、それまでの自分の行動に対しての整合性が、保てなくなる
今までの行動とかけ離れてしまうと、いわゆる変なヒトと思われてしまう
変なヒトとは思われたくはない。それで惰性のまま、動いてしまう
いや、ホントはそうじゃない
感情のまま、動いてしまっている。それだけ
感情がそうさせる。急に逆に動けないのは、自分の感情
客観的な自分も居て、冷静にそれを見てる。感情で動いてしまう自分を
荒ぶる感情という奴は、タチが悪い
してしまう自分は、だいたい感情
感情はカラダや古くからの脳で、つくられる
古くからの脳の方が、優先順位が高いのでどうしても制御出来ない
それは動物的行動。カラダや古い脳が主導権を握っている時、自分は動物的
感情的になればなるほど、主導権はカラダや古い脳に移る
動物的な行動をとる
自分の中に、動物的な行動と、人間的な行動の二つ
二つが存在している
その二つが、感情を目安として、主導権を取り合う
自分の中に自分が居る感覚は、この動物的と人間的な両者で起きる
自分の中に、二つの要素がある。二つの自分が居る
二人ではなく、一人に二つ
ヒトは最初は動物的。それが他人の行動を学習して、人間的になる
動物的な自分と、距離をとれるようになって、冷静に自分を見つめられる
日々自分を評価し、ダメ出しをする。これは、動物的な自分との戦いかも
動物的と、人間的、その間にいつも自分が居るとも言える
どちらに行くか。どうすれば、してしまわないように出来るか
毎日戦略を立て、自分のコントロールを試みる
結局自分て、まだコントロール出来ていない
一生かかっても、自分なんてコントロール出来ない
その都度その都度、コントロールする為の試行錯誤
一生そのしのぎ合い。動物とニンゲンの間にいて、双方の恩恵をうける
どちらが正解と言うコトはなく、どちらも正解。どっちが良いかは、その都度決まる
両方持つというのは、それなりに大変で、それなりに便利。ヒトはそういう選択をして、生き残ってきたというコト
距離は、二つ。動物的と、人間的。両方の恩恵を受けるべく、自分で決めている。距離は学習の仕方で、まるで変わるかもしれない
生まれつきじゃなくて、良いヒトの行動を見て学習するコトって多い。とすると、あんまり良い行動を見ないと、ヒトは動物的に動いちゃうのかもしれないね。子供たちが良い行動を出来るように、大人は恥ずかしい行動しちゃダメってコトかも。日々反省して、良い行動を見せられるようにしないとね