ふたつのみ
覚えモノ
仕組みモノ
学習って、覚えモノと仕組みモノの、二つのみしかない
覚えモノと、仕組みモノの、二つのみしかないけど、それが混ざっている
混ざっているので、とても混乱させる
でも、混乱させるなんて、誰も説明しない。教える方も、混乱させてるなんて思っていない
覚えモノと仕組みモノは、種類が違う
種類が違うから、学ぶ側の姿勢も変わる。そのハズ
でも混ざっているとなると、姿勢を変えるコトが出来無い。それで混乱してしまうというコト
覚えモノって、概念に付けた名前。ラベルでも良い。それを覚える。覚えるだけでそれ以上はない
ただのラベルなので、本質との交わりもない。日本と他の国では、当然ラベルは変わる
誰かが付けたラベル、それを覚える。それが覚えモノ
仕組みモノの方は、揺るがない概念そのモノ。どうなっているかという構造を、知る
構造なのでそれを知れば、発展させるコトも出来る。仕組みモノは、その先も広がっている
なので、その手前を身につけていないと、先に進めはしない
仕組みモノは、次もあるからモノにする姿勢で臨まないと、おかしくなる
たった二つのみ。覚えモノと仕組みモノ。これが混ざってしまっている
そして、量が多すぎる場合も・・・・。量が多すぎると、学びきれない
取りこぼしとなる。ページ数や文字数でもない。キッチリと、個数を数えて学んだ方がイイ
一定の時間で学べる個数って、実は決まっている。個人差はある。でも決まっている
覚えモノと、仕組みモノでも学べる個数は変わる
覚えモノの中でも、その文字数や音の繋がり方で、覚えやすいモノと覚えにくいモノはある
仕組みモノでも、いくつかの構造が混ざったモノもあり、見極めが必要となる
一つに見えても、一つじゃない。確実に捉えないと、学びきれない
学びきれずに取りこぼしてしまう。混ざっていたり、量が多かったり、理由はある
理由はあるのに、自分が悪いって考えてしまう。自分がバカだって、自分を責めてしまう
これは、見当違い。まるっきり、間違っている捉え方
理由がある。結局ゴッチャにして、ムラが出来ている。ムラがあるまま学ぶから、取りこぼしてしまう
学びといっても、それほど完成されているモノではない。どちらかというと、発展途上
学ぶモノも、2つあるというコトさえ、分けてない。そして個数も見極めていない
ある時には少なく、そしてある時には、とても多い学び。それが日常になっている
ペース配分も何も無い、とてもルーズでイイ加減に出来上がっている
いい加減なしわ寄せが、学ぶ側に行く。学ぶ側が自分を責めるカタチになる
学ぶ側が自分を責めてしまう段階ではない。学ぶ側がルーズならば、責められてもしょうがない
でもルーズなのは、学びのカタチそのモノ。マズイのは学びのカタチそれ自体
学びを変えていくのが、先決
学びだけでは、補えないコトもある。それも知っておく必要がある
たとえば、感じるコト。これは覚えモノでも仕組みモノでも、補えない
感じるコトというのは、心を震わせるコト。そして、かすかな違いを増幅して捉える能力
ある程度の訓練とか慣れも、欲しい
学んで、感じるコトも出来て、それでもまだ足りない
カラダ自体に、覚えさせるコトや、乗り越えられる体力も付けるコトが必要
学びは二つのみだが、感じるやカラダ関係は、まだやらなくてはイケない
しかもそれもルーズなので、個数を見極めて無理なく身につけられるように
沢山の工夫が要る。それはしなければイケないコト。今までしてこなかったコト
二つのみは、学び。覚えモノと仕組みモノ、種類が違う二つ。まずは明確に。それで着実に学びきれる
明確になると、取りこぼしてるかも、すぐに確認出来るよね。確認するから、取りこぼしなんて存在しない。ま。実を言うと忘れてしまうコトもあるから、ホントはそれも考慮に入れないとイケないんだけど。忘れたら、またやり直し。やり直しがイヤだったら、忘れないように。っていうコトだよね〜