せんたく
動物
体表の質感
動物たちの体の表面は、多様。その個体が、それを選択した証拠
例えば毛で覆われているモノ。そして、堅い殻で覆われているモノ
動物によって、いろんな体表がある
厚い皮で覆われているモノもいれば、鱗、羽毛、またはヌルヌルで軟らかいモノもいる
そんなモノは当然だと、思いがちだが果たしてそうだろうか?
人間は服を着る。そして必要なくなればすぐ脱ぐ
時にはヨロイを着たり、水をはじく素材を選んだり、その都度着替えていく
どうして着替えるのか。それは動きが制限されたり、重くて負担になるから
それで着替える。でも、動物は着替えるコトは当然出来無い
何が言いたいのかといえば、動物もその制限のある体表を選択して、存在しているというコト
そして一生それを背負って生きていくというコト
動きづらくても、重たくても一生それで暮らしていかなければいけない
それを承知で、そのカラダは選ばれている。そしてそれで生き残っている
生き残りの為の選択。それに伴って、被るコトになる不利益
覚悟がそこにある。自らの体を変えていく覚悟
いや、実際その体に守られて、命を拾うコトもある
それは先祖のご加護といえるかもしれない。先祖の選択により、守られている
どんなに制限があって負担になっても、そのカラダは自慢出来るモノかもしれない
先祖から渡された、ご自慢のカラダ
それは目に見える表面に限らない。カラダの中身も、全体が自慢して良いモノ
少なくとも生き残っている。生き残っているカラダを引き継いでいる
自分の存在は、それだけで自慢してイイ。それだけで、加護を受けている
勝手に生きているように、当然に生きているように思いがち
でも、生き残っているだけで守られているし、自慢出来る存在
太鼓からのバックアップを受けて、今生きている
頼もしい味方に支えられて、自分はココに存在している。誇らしいし、粗末になんか出来無いね
選択は、覚悟。先祖の加護の上に、今の生命は生きている。このカラダで居る限り、孤独はあり得ないし、負け組であるハズもない
カラダって、太古から続く先祖からの贈り物ってコトかぁ。大切にしないとな。制限があっても負担があっても、それをひっくるめて先祖からの贈り物なんだね。誇らしいし頼もしい。自分の存在自体が、贈り物。そう言ってもイイかもしれないね