えすかれーしょん

ねだん

ねだん

勝手

誰かがやっている

値段は誰がつけてもイイ。誰かが付けた値段は、絶対ではない

以前の誰かが付けた値段を、引き継いでいる

誰かが壊すまで、その値段は継続される

値段というのは決まっていない。誰でも値段は付けて良い

それなのに、値段に慣れていない。値段を付けるコトに慣れていない

値段を付ける訓練をした方がいいように思う

モノには価値がある

その価値を客観的に表したのが、値段

自分にとっては邪魔な存在でも、客観的に見れば価値がある

値段は付けられる。値段が付けば、価値を再認識出来る

値段をつけるコトが出来たならば、身の回りにあるモノは、価値あるモノだらけ

それを再認識するコトは、悪いコトではない

値段は誰でもつけるコトが出来る。根拠も資格も要らない

気分でつけてイイ。より高い値段となると、その根拠を示す必要がある

どうすれば、その根拠を示せるか

それを考えるだけでも、良いと思う

値段を付けると、商品になる

自分の身のまわりも、商品に囲まれる

商品だと思えば、さらに大切にする。どうすれば価値を保てるか、どうすると価値を失うか

自分の行動で、価値を下げているコトが分かる

モノとの接し方が、変わっていくように思う

値段は、ヒトが付けると同時に、自分が付けるモノでもある

双方が付け、納得を持って交換される。それが商品

自分でシッカリと値段を付けるコトは、かなり意味がある

値段を付けるコトに、慣れていた方がイイ。モノはタダではない。無価値ではない

値段の付く世界にするコトは、モノを大切にする上でも、結構利いている

全て価値あるモノ。それを感じる為に、慣れておく。実際に売り買いしないとしても、価値の再認識

値段は、客観的な価値。無価値と思いがちなモノの価値を、再認識する。値付けは価値付け、価値あるモノなら大切にする

値段があるモノは、認める。でも値段がないモノはナメてかかる、という所か。確かに値段が付くと、独特の緊張感がある。本質は変わらないが、脳が理解出来るようになるのだと思う。脳の為に、値段は付けるのかもしれないね。

-えすかれーしょん