えすかれーしょん

れんぞく

れんぞく

変化の限界

刻みの限界

瞬間に状態は変化する。その連続で世界は成り立っている

変化の限界はどこだろう。刻みの限界はどこだろうか

高速度カメラというモノがある。1秒間に1万コマ以上撮影出来る

スピードが速い被写体も、このカメラで撮影すれば細かい変化を連続して見るコトが出来る

1秒間に、撮影出来るコマが多いというコトは、それだけ刻みが細かいというコト

その刻みの限界とはどこだろう

刻みはどこまでも細かくできる。ある意味無限に刻める

でも、物事の変化は無限ではない。限界があり有限

存在するモノは有限なので、変化するスピードも有限でなければイケない

では、それはどこか

おそらくは光速。光速以上のスピードでは、変化しない

光速が、変化の限界

刻みは無限だが、変化は光速以上にはなれないので、それ以上の速さで観測出来ても無意味といえる

変化は連続して起こるが、そのスピードは有限

光速が限界で、それ以上は変化しない

変化出来ないのなら、それ以上刻んでも無意味。まるで何も変わらない

全て光速の支配下にある。いや、逆に考えれば光速はとても速い

その光速をあらゆる物質は内包し、連続して変化しながらも安定している

細かな世界は、とても作為的

原子の大きさや重さは、どれも全て同じ。少し小さいや少し大きいなどの、個性もない

決まり切った大きさや重さで、宇宙のどこでもそれは同じ。それをとても作為的、つまり作り物と感じる

あまりにも小さくて、あまりにも速い世界は、作り物であるかのように、皆同じ。均一

変化の限界も、光速。光速も揺るがない

そこまで作為的であると、『神』という概念を使いたくなる

アインシュタインも、”『神』はダイスは振らない”と、『神』という言葉を使っている

物理の究極までいくと、『神』という存在を、使わざるをえなくなるのだろうか

すべて、その支配下にいる。物理法則などと言っても、結局『神』の支配下

『神』の作った世界の中で、私たちは泳がされてきた

とても小さな世界は、それを指し示している

個性も、不確定要素もなく、とても均一で均質

全てのモノが、ただ物理法則のままに動いている世界

でも、生命はその物理法則の世界にいながらも、その支配から抜け出している

物理法則のままに、手取り足取りされ動かされているモノではない

自分の意志で、動いている

動かされているのではなく、動いている。これは大きい

どんな大きな惑星でも、ただ動かされているだけ。自分で動いてはいない

生命は、自分で動いている。これはコレで凄い

物理法則の支配下にはいるが、動かされているだけの存在では、なくなっている

これは、最高傑作だろう。いや、『神』が作ったとすれば、最高傑作のように思う

どんなに大きな惑星も、プログラム通り動くだけ

でも、生命はプログラム通りは動かない。それは傑作と言っても、良いと思う

私が『神』なら、ご自慢のモノ。お気に入りのモノになるに違いない

光は、とても大きなチカラも生み、小さなモノの中にも存在する。とても基本的なモノ

大きいモノと、小さいモノの中には、さほど距離はないのかもしれない

勝手にヒトが距離を作っているだけで、それほど差などないのかもしれない

均一で均質なルールで出来上がっているので、この世界は崩壊せずに、成り立っているように思う

変化の限界は光速。それ以上にも刻めるが、変化しないので無意味

よく宇宙の果てを求めるが、刻みの果ては光速

それ以上は、変化しない無意味の世界

なるほど、この世界は意味のある世界と言えるのかもしれない

もともと無意味の世界で、その中に意味のある有限のモノが存在している

でも、もともとが無意味の世界なので、大半は無意味

無意味な世界に、意味を持たせるその基本となるモノが、光

とても速く、基本となるクロック。基本となる刻み

それに支えられて、意味ある世界は脈打っていく

存在の基本。生命にとっても、基軸になるモノ

我々が思っているよりも、この世界の大きなモノも、小さいモノも近い存在

その中で、ヒトは生かさ
れている。共に生きている。ありがたい

世界は広いが、基本は同じ。同じクロックで刻まれていく

それは安心材料であり、すべての始まりでもある

『神』がいるかはわからない。でも、この素晴らしい世界がある。それだけが全てを物語っている

連続は、意味。光速が世界を作り、その刻みで私たちの世界は成り立っている。私たちは作り物ではない。であるから、逆に最高傑作

細かい世界ってホント均質だよね。それが驚き。不確定要素がないんだからね。でも、不確定要素だらけのこの世界も、大変だけど楽しいよね。予定調和じゃつまらない

-えすかれーしょん