いみはない
持たせたがる
あると信じている
何でも意味を持たせたがる。意味があると信じている。でも大半は、意味は無い
物事の大半は、無意味で無価値
それなのに、全てのモノに意味を持たせ、価値を見いだしたがる
確かにその作業も必要
無意味で無価値なモノは、大切にはしない
意味があり、価値を見いだすコトで大切にするようになる
とても必要な方向性。でも、その方向のままでは、求めすぎてしまうという弊害も起こる
全てのモノに意味や価値を求めてしまうので、それが負担になってしまう
どうしても、意味や価値が見いだせないモノもある
にも関わらず、意味や価値があるとして考える。それは求めてしまっている。負担になっている
良かれと思ってやっているコトが、負担という重圧をかける結果に陥っている
全てのモノに意味や価値があると考える方向性は、大切にする一方、求めすぎて負担になる
負担になり迷惑をかけているという事実は、望まない結果
しかもその負担は、他人にも自分にもかかっている
知らず知らずのうちに、負担をかけている。首を絞めてしまっている
これはイケない。窒息してしまう。良かれと思っていた方向が、実は苦しめていた
物事は、その大半が無意味で無価値。それで良い
無意味で無価値の存在も認めれば、ラクになる
何も求めないので、ラク。負担にならない
無意味や無価値の存在の肯定。それにより全てが救われる
自分も他者も、全てのモノが全ての状態において救われる
意味や価値があると思いたかったのはナゼだろう
それは自分と、それ以外のもに共通性を感じたかったから
もう一つは、時間などの概念も意味や価値を加えて、無駄にしないようにしたかったから
意味や価値を見いだすコトで、有効に、そして存在により沿うコトが出来る
時間などの概念を、無駄にせず有効に使うコトはとても良いコト
そして自分以外の存在に、共通性を見つけて近い存在とするのも良いコト
それは必要な段階。なのでそれが出来た上で、無意味と無価値を肯定する
という順番
意味を持たせ価値を見いだしてから、無意味や無価値も肯定する
無意味や無価値が存在する。いや、存在するというより、大半は無意味や無価値
それでいい。それで世の中出来てるし。それで、成立している
意味や価値あるモノだけで、ギチギチに出来ているわけではなく、もっと余裕を持たせてる
もっと世の中は軟らかく、おおらかだと考えてイイ
求めすぎは良くないね。辛くなるだけ。気をつけないとイケない。首を絞めてしまう結果になるから
意味は無いは、とても自然。価値や意味が見いだせるのはほんの一部。それ以外のモノも重要。大半の無意味や無価値を認めるコトで、全てが救われる
無意味や無価値なんだ。大半のモノは。自分の中の大半のモノも、無意味で無価値なんだね。確かにラクになる。そこを肯定されると、こわばりがとれてゆったり出来るね。しかも意味や価値ある所に、集中して力も注げるしね