しゅちょう
人同士
やりとり
主張するコトは、人同士のやり取りでは、とても有効
違うバックボーンを持つ人間同士が、わかり合う為には、それを主張し合うのが最短
相手に簡単に届けるコトが出来る
そして交渉なども、有利に運ぶ
やり合いとなれば、主張しない者は理解されない
それで主張を求められる
ただこれは、強者の論理とも言える。強者になる為の論理
弱者は切り捨てられる。声の小さい者は、切り捨てられる
主張する者は、声なき者を理解出来ない。でも、声なきモノも存在する
人は声を発するが、それ以外のモノは声を発しない。主張しない
主張しなくても、存在する。その声なきモノ達と、対話する時、主張しても仕方がない
声なき者と対話する為には、推し量らなければいけない
主張せずに、想いを馳せる。心を通わせる
日本では、あらゆる自然を神として崇めた、シャーマニズムが存在する
明治期にカスタマイズされてしまった神道ではなく、もっと地域に根付いたシャーマニズム
感じ取るシャーマニズムが、どこの地域にも存在する
日本人にとって、自然との関わりが重要であったコトを、示している
これはいろんなバックボーンを持つヒト達と、交流する大陸型とは違う
心を通わせる事を重要視した、自然型
大陸型と、自然型。その環境によって、人の振る舞いも変わっていく
日本人は、根本に自然型を持つ
外国に攻められるコトがほとんど無く、交流も比較的少なかった
その日本では自然型が残る。その上で身分制度が成り立つ
その身分の圧力が、緊迫した空気になり、行動を制限させる
喉元に刀を突きつけられた上で、命を人質に、余計な行動は妨げられた
それが現代にも、色濃く残っている
マイナスの意味で、空気というプレッシャーを意識させられるのは、その為
ただ、マイナスだけではない。プラスもある。昔から、プラスもマイナスも受け継がれてきた
時代を経ても、根底にあるモノは息づいている。昔からずっと
自然型は、昔から続くモノ。ではそれは古いのだろうか
いや、科学は声なきモノを、研究していく。世界も環境を重要視するようになってきている
近代から続いてきた大陸型の、強者の論理ではなく、声なきモノ達と共存していく自然型になってきている
想いを馳せ、声なきモノと対話し、心を通わせる
その上で、科学的裏付けを元に、発展していく
自然型は古いモノではなく、根底のモノ
近代から、強力な力を生み出してきた科学は、浅かった
でも現代は、科学がもっと深い所に到達してきた。自然型に、やっと辿りついて来たというコトだろう
声は、人同士のやり取りでのみ有効。その大陸型から、自然型に移行していく途中にある
ただ、現代の日本は弱きモノの声、声なきモノの声を、聴いて行動しているようには思えない。これはマズイ
もう一度原点に返り、声なきモノと対話をしていくコトが、何よりも重要と思う
主張は、人のみ。大陸型も重要であるが、自然型も重要。あらゆるモノと心通わせる時代が、来ている
もしかすると、科学が結んでくれるのかな。声なきモノ達とヒトを。科学と心が融合する時代なのかもしれないね