うまれつき
カスタマイズ
誰の為か
自分は、自分としてカスタマイズされている。それは誰の為だろうか
いわゆる個性と言われるモノ
これは、生まれた時から備わっている
この個性というモノは、自分の為にあるんだろうか。それとも誰かの為にあるんだろうか
生命として考えてみる
新たに生まれる生命に、個性がなければ、皆同じような弱点を持つ
これでは、状況が不利に働いた時、みんな甚大なダメージを受ける
下手をすれば、そこで途絶えてしまうかもしれない
そこで、生き残りの可能性を個性というカタチで、それぞれの子供たちに持たせる
すると、一部が甚大な被害を受けても、一部はなんとか耐え凌ぎ、生命が途絶える事を防げる
個性というのは、その生命が生き残る為の戦略だと言える
それが基本であるコトは間違いない。では、あまり死ぬコトがない人間はどうだろう
現代の人間は、他の生命と比べて環境の変化で死ぬコトは少ない。文明の発展で、環境に対応出来ている
人間を捕食する外敵も、存在しない。この時、どうして個性が必要になるだろう
もう、生命の生き残り戦略からは外れている。それなのにどうして、個性があるのであろうか
社会の中で、みんなが無個性だったとする
どれも同じなので、対処がし易い。意外性もなく、画一した方法で何でも出来る
確かにそれは効率的。ただしそれでは、進化は遅くなる
意外性がないというのは、発展も少ない。多様化も鈍い
多様化がないというコトは、進化が鈍いというコト
いろんな可能性があって、それを選べる。どちらに行くかを選べるので、進化する
良い方向に、進化していける。個性がない場合は、皆同じ
今以上に発展する分野もあるだろうが、全く発展しない分野も出てくる
多様性がないので、選べない。不便なモノは不便なまま。そのままで、生活しなければイケない
ヒトは学ぶ生き物。そしてマネる生き物
マネる生き物ではあるが、選んでもいる
ただ、マネているワケではない。選んでいる
個性があるコトで多様になる。そしてその多様の中から、良いモノが選ばれる
ヒトの個性は、より良く生活する為。可能性を広げる為に備わっている
もう一つ言えば、ヒトはマネる時選ぶのが通常。それぞれが選んでいる
誰かに強制されて、マネるのは本来の姿ではない
少なくとも、それがどれだけ良いモノかを、知った上で選ぶ必要がある
何でもマネをさせる、学ばせるというのは、本来からはズレている行為だろう
さらに、多様なモノから選んでいるとすれば、今までになかったモノから、新たに選ぶだすのも自然な行為
どんどん増やして、そして無くなっていって自然。増えたり減ったり
そう考えると、あまり固めてしまうのは不自然。もっと柔軟で、自由で良い
多様は、選ぶ為。それによって良い方向に進化していける
生まれつきは、個性。個性が多様を生む。そしてそれを、マネる。選べる。固めなければ、もっとより良い生活が出来るハズ
マネるだけじゃなくて、選んでいるのか。でも、選ぶ為には多様な方がイイし。だから個性が必要と・・・。うまく出来てるね