えすかれーしょん

たんじゅん

たんじゅん

スタート

どちらか

スタートは単純。良いか悪いか、そのどちらか

自分が良い方になる。すると、自分と違うモノは、悪者になる

左か右か

それもとても単純。スタートはとても単純で、そこから始まる

右翼にしても、左翼にしても、単純化された概念

単純化された方が、納まりがいい

スタートはいつも単純だが、最初の壁は高い

なので、いつまでもスタート地点のままで、終わってしまう場合が大半

逆に、最初の壁を越えてしまうと、別の世界が拓かれていく

壁は自分の中にある。自分の中にあるので、とても高い

それは自分と違うモノを悪として、自分を善とするモノ

悪として拒絶している考えを、チェンジしなければ、スタート地点のまま

良いと悪いという、単純な考えが、自分の中に大きな壁を作っている

それは、人間のかなり本質的な部分。取り除くコトは出来ない

自分との戦い。本当に悪者か、悪者だとして拒絶するべきか

拒絶するのは、取り込まれたくないから

実際、取り込まれてしまう場合もある

右翼が、左翼へ。左翼が右翼へ

壁を越えずに、ただ鞍替えしてしまう。これも違うスタート地点に、立ったにすぎない

スタート地点であるコトに代わりがない。あくまで、壁を越える

壁を越えて、始めてスタート地点から一歩踏み出せる

自分の最初の地点は、いつまでも引きずる。それで構わない。そうでないとイケない

その上で、悪者としていたモノの中へ。本当のコトを知る為に

相容れないモノはある。と同時に、認められるモノも存在する

認められるモノの中に、自分の側にはない、大切なモノのもある

自分の側と、相手の側。人間が生きる上で、双方が必要

拒絶というのは、担うべきモノから逃げているだけで、必要なモノと向き合っていない

必要なモノから逃げているので、すべて思い通りになっても、不具合が起きてくる

なぜなら足りないから。足りない所から、不満が出て、そこから崩れていく

右翼や左翼に分かれていたとしても、双方担っているモノがある

全否定するべきモノでも、拒絶するモノでもない

もっと切り分ける必要がある。切り分けた段階で、単純ではなくなっている

最初は単純でも、それだけの能力しかないので、仕方がない

でも、いつまでもスタート地点に甘んじ、相手を拒絶するべきでもない

相手を知る毎に、そのウラ側も分かってくる。とすると、まだ他にナニかが足りないコトも見えてくる

足りないモノとは何か?それは状況

その時その時で、状況は変わる。極限の状況の時、ヒトの行動も変わる

現代の、ぬるま湯の状況とは違う。その状況の違いが、相当悪さをしている

たぶらかしている。単純に相手を悪者にする、その根拠になる事実は、その状況に起因するコトが多い

悪いコトであっても、その状況からすれば、仕方のないコト

状況を踏まえてあげると、仕方のないコトも多い

モノゴトを知る毎に、悪者にしてイイ・・・・・・モノでは無いコトが、分かってくる

その行動をする原因がある。状況がある。それをサポートする

現代は状況が違う。当時の状況の時と、同じ行動はするべきではない

結局巡り巡って、自分に還ってくる。引き続き同じ行動をするのではなく、状況によっていつも変えていく

その時代なりに、状況なりで行動は変えていく。同じではイケない

物事は、複雑で立体的なモノ。スタートは単純でもいいが、それはスタートのまま。何も知らないまま

自分の中の高い壁を越え、担うモノを知り、状況を知り、自分行動に還る

スタートから、ゴールまでの道筋。単純のままではイケない。スタートのままは、赤ちゃんと変わらない

単純の時は、何も分かってないんだね。分かってくると、誰も責められない。でも、状況が変わっているのに、ダラダラ引き継ぐのが、一番イケないのかな

-えすかれーしょん