えいご
ぼそぼそ
テンションが違いすぎる
英語の授業は、先生のテンションが高く、生徒はボソボソとやる
コントになりそうなくらい、テンションが違いすぎる
これは、学んでいる側の自信の無さをそのまま表している
それなのに、成立させようとして、さらにテンションを上げて教えようとする
ヤル気の空回りがそこにある
ヤル気があるのは分かるが、的確に実状を捉えていない
それで、求めすぎてしまう
まだそこまで行っていなくても、求めてしまう
出来るワケがない。それなのに、飛べないハードルを求められる
それでは消極的になり、ボソボソにもなる
その段階で、教える側は気づかなければイケナイ
まだその段階まで行っていないと
では、どうすればイイのだろう
これは単純。インプットの量を増やす
入れる量があまりにも足りない。インプットが少ないのに、アウトプットを求める
そして、さらに正解まで求めようとする
それは、教える側の都合。そこまで行きたいという都合で、お構いなしに進めたがる
これでは、ボソボソは加速するし、自信も失われてしまう
当然喋るコトなど出来ないし、教える側は都合で進めているので、学んでいる方が出来なくても一向にかまわない
そのくせ、なんで私が一生懸命教えているのに、分からないの?などと思ったりする
全く分かっていない。実状が見えていない
私はツイッターで英語圏の人をフォローして、いろいろ分かった
量が足りなさすぎた。インプットする量
単純に物量。ツイッターであると、どんどん入り込んでくる
それを、google翻訳でさばいていく
最初は、まるで分からない。でも、同じ単語が何度か出てくると、そこで刷り込みが強くなる
記憶への焼き付きは、確実になっていく
しかも出来るコトは、一切求められない
自分で翻訳する前に、予想する。比べて自分の間違いを、修正していく
おそらく文法など、最後の最後
まずは感覚で、だいたい判れば良しとする
ボワっとした所から始まり、徐々に焦点を合わせていく
教えようとする人はその責任から、間違ってはイケないと思い込む
学ぶ側ではなく、教える側が間違えてはイケないという考えに、囚われている
寛容さがない。そして不安にもなるので、確認したがる
それで求めすぎてしまう。しかも、出来るコトを求めてしまう
その結果、ボソボソしか出てこない
そこで、気づけばいい。これは何かおかしいと。やり方を修正すればいい
ザンネンながら、それをしない。そこで立ち止まらず、教える側の都合の流れに呑み込まれていく
お構いなしで、ご都合で進めると言うコトをするので、インプットを増やすとしない
さらには、求めすぎるというコトも、やめない
仕方ない。まだツイッターで身につけるコトを誰もやっていない
インプットが少ないというコトにも、気づいていない
ツイッターで他国語を身につける事が広まれば、学校で学ぶコトは、必要なくなる
教師は必要ない。それまで呑気に、ご都合でお構いなしに続けていればいい
新しいモノが、今までの問題を洗い流していく
しかも、カタチではない。これは実。中身。ホンモノ
学校の英語は、カタチで中身が伴わない、もしくはやり方を間違えて無理があるモノ
ツイッターは実であり、自由。さらには英語だけに留まらない
明らかに、方法論として優れている
なぜなら、教えない。ツイッターは教えない
そこにはご都合も、間違えてはいけないという意志も、存在していない
お勉強でもない
身につける側は、言葉を捕食していく。次々に捕食して、栄養にしていく
アウトプットは、もっと先で良い。文法も、ずっと先で良い
ともかく、生活の中のやり取りをそのまま捕食していく。言葉を栄養にする
フォローする人を変えて、渡り歩いていけば、いろんな言葉に出逢える
英語の教え方というのは、悪い見本として、映像に残しておくと良い
いずれ失われてしまうモノだから
これからは、ツイッターで充分身につけ、発声、アウトプットしていく
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それがこれからのやり方
英語は、歪んじゃってる。そんなモノじゃないので、本来のカタチに戻すべきかな。恐れず、捕食していく、肉食的にね