えすかれーしょん

なま

なま

行きたい

満足しない

映像や写真では満足出来なくて、行きたくなる。生で見たくなる

技術の進歩で、遠くで起こったコトも写真や映像で、観るコトが出来るようになった

そこにどんなモノがあり、どんなコトが起こっているか。だいたい分かる

でも、それだけでは足りない

写真や映像は、情報でしかない。体感や体験を伴わない

目で見た情報に対して、体感したり、体験したいという欲望が湧いてくる

そんなモノがあるのかという興味

その興味から、ホンモノを生で見たいと思う

写真や映像は、一部を切り取っただけ

体感や体験と比べると、圧倒的に情報は少ない

切り取られていない、そのモノを見たい

そういう欲求が湧いてくる

ならば、見せればいい

写真や映像で、面白い所を切り取り、それを沢山のヒトに見てもらえばいい

それで、人を呼べる

ヒトは生で見たい。自分の体験の幅を広げたい

実際に体験すると、表側だけでなくウラ側も分かる。立体的にそのモノを取り込める

立体的に取り込むコトで、そのモノの現実感は増す

写真や映像だけでは、現実感はとぼしく、作り物と感じてしまうコトもある

生で見たい。そして日常とは違う世界を、味わいたい

日常ではない、非日常性

欲しいのは非日常性。それを体感したい

とすれば、非日常性を切り取れば良い。切り取って見せればいい

どこに非日常性があるか。それを探す

そしてそれを切り取る。説明や解説を付け加えて、興味を促す

体験談や感想も、有効。自分も仲間入りしたくなる

情報だけでは、断片なのかもしれない

断片を埋めたくなるのかもしれない

それで、生で見たくなる。体験するコトで、断片が補完されて完全になる

もしも、日常であるモノなら、体験しなくても補完出来る

でも、非日常なら、普段の生活のモノでは補完出来ない

断片を埋める為には、その場所に行くしかない。生で見るしかない

探すべきは、非日常性。切り取って見せれば、その断片を埋めようと、ヒトが集まってくれる

たくさん見てもらう。とすると、インターネット

写真や、映像、解説や体験談だけでいい。それをネットで公開

興味があれば、自分で検索する。検索はワープ

ネットでは広告は嫌われる。広告に誘い込まずに、興味だけ高める

リンクが無くても、検索でワープして辿りつく

それはこれから出てくるかもしれない。これからのカタチかもしれない

ユーザーは、行動する。ネットがあるのでワープして、辿りつく能力もある

やりすぎてはイケない。非日常を切り取り、興味だけバンバン煽ればいい

あとは、実際生で見る為道筋を示した、サイトを用意する

もうみんな、断片を埋める手段を沢山持っている。興味があれば、検索で辿りつく。やり過ぎは、不快なだけ

あえて、断片だけにする。それに特化する。断片を補完するのは、ユーザーに任せる

生は補完。非日常的な断片があると、補完したくなってくる。そんな興味を上手に引き出せると、この不況下でも、効果があるかもしれない

-えすかれーしょん