みえる
よく使う
どういうコトだろう
見える、見えていなかったは、私もよく使う。どういうコトか、もう一度探って見る
私たちが、見えていると思えるのは、どんな世界だろう
実際見ている世界。目に映ったままの世界
さて、目に映ったままでは、それがなんなのか分からない
目には捉えているが、素通りになってしまう
これはどういうコトか。おそらく、見ているだけでは、何も受け止めていない
受け止める所が受け止めていないと、意味として実を結ばない
その受け止めている所がどこかと言えば、それは脳
見るのは目だが、受け止めるのは脳だと言える
結局脳が受け止めなければ、目で見えていても、見えていなくても、さして変わらないというコト
重要なポイントは、脳
目でとらえて、脳で受け止めて、意味が分かって始めて見えたコトになる
見えるというのは、目と脳の共同作業
そして、目を通さなくても、脳だけでも意味が結ばれれば見えるコトになる
目を閉じても、脳だけで映像は作れる
疑似の世界を、脳は作れる
今見えている世界も、そのままではなく脳の中で、意味づけされた世界
つまりすべては、自分の脳が作り出す疑似の世界
少なくとも、自分が見えていると感じるのは、そういっても差し支えはない
私たちが見えていると思うのは、脳に掛かっている
同じモノを見ていても、脳の働きによって、まるで別のモノを見ているとも言える
脳の働きは、個人差がある
脳によって、見える世界はバラバラ
見えると簡単にいってしまうが、実は脳のウエイトが高い
脳がどう処理して、意味づけをするのか
それで見えているモノが、まるで違ってきてしまう
とはいえ、意味づけを修正すれば、ほとんど同じモノを見ているとは思う
この世界が、ヒトによってまるっきり違ってしまうというコトは、無いように思う
あくまで微調整レベル。天と地がひっくり返るような、違いはない
でも、意味づけによって、見えるモノが変わるのも事実
どう意味づけをするかで、今まで見ていたとは、違う意味に変わる
それは、目で見える世界でも、目には見えない世界でも起こりうる
目には見えない世界というのも、脳の中では重要な世界
脳の中だけで構成されても、見えているというコトになる
重要なのは脳なので、そういうコトも、日常的に起こってくる
脳で見ている。目という器官で捉えなくても、脳で見ている
そうか、脳で見ているのか。今までボンヤリわかっていたコトが、ハッキリとした
これも意味づけが、変わったというコト。これで、見るという行為も、少し違ってくるかもしれない
ほんの少しだけ、脳を意識するように、なるかもしれない
見えるは脳。目で捉えているが、見えると感じるのは、脳で意味づけした時。なるほど、見るモノによって、脳が疲れたり休まったりするワケだ