えすかれーしょん

なめてる

なめてる

生きている

くり返すほど、慣れる

生きている時間をナメている

時間が長いほど、いろんなコトを経験し、いろんな状況に置かれる

様々なモノにふれ合い、くり返せばそれだけそのコトに慣れていく

それぞれのヒトが、それぞれのベテラン

それを考慮に入れていない

それぞれの生きてきた時間、生きてきた経験、置かれてきた状況、それを考慮し無さ過ぎている

自分に過去と未来があるように、他のヒトにも様々なモノに触れあった過去と、未来がある

生きているというだけで、そのヒトにしかできない経験をしてきている

その経験を、もっと共有しても良いように思う

おそらくナメている

ヒトが生きてきた、時間というモノを

自分がいろんな経験をしたように、他のヒトもいろんな経験をしているのに

それぞれのベテランで、それはとても重宝するのに

そんなモノどうでも良いと、ナメくさっている

とてもモッタイナイ話。宝をゴミとして捨てるようなモノ

ゴミではなく、宝

他人が触れあってきたいろんなモノを、共有するだけで、宝に囲まれるコトになる

全てのヒトは、師匠になる。

時には師匠として、時には弟子になって、共有する

なんども触れあって、慣れているというのは、よく知っているというコト

しかも実体験。自分が拒まなければ、その貴重な宝を頂戴するコトが出来る

ただ、生きている

そう思ってしまうが、生きていると言うだけで、そのヒトにしか見つけられないモノを、見つけていたりする

生きている時間を、ナメちゃいけない

生きているというコトを、ナメちゃいけない

ナメるコトによって、どれだけの財宝を捨てていただろう。非常にモッタイナイ

隠さずに共有し合う。その香しく、少しクセのある人生

それぞれの人生を、ほんの僅か味合わせて貰う。それは、良い趣味にもなる

穏やかに、いろんな人生の味を、堪能

みんな踏ん張ってる!踏ん張ってきた!自分も明日から、踏ん張っていこうと思える!!

ナメているのは、生きる時間。その目で何を見て、心で何を感じてきたか。それがゴミであるハズがない。知と、踏ん張りを共有してみる

-えすかれーしょん