えすかれーしょん

かいしゃ

かいしゃ

だれが、被るのか

会社は利益をあげる準備をする。その準備を損と考える時。さて、誰がそれを被るべきだろう

利益をあげている時ならば、準備はその利益から捻出出来る

でも会社を立ち上げる時は、利益というモノは存在しない

準備している段階でも、利益は出てこない

商売を始めて、利益を出すまでの間、誰がその分の損を被るのか

ほとんどの場合、それは経営者

経営者が準備段階の損を被る。この損を、外部のモノも被る場合がある

いわゆる出資。株式の考え。準備段階の損というのは、誰が被っても良い

ただ、損というのは、好きこのんで被らない。それなりの見返りを求める

それで、利益を分配する。配当を受け取るカタチをとる

ただ、この利益。経営者や出資者だけが受け取るものでもない。

労働者という別の存在も、この利益を分けるカタチになる

労働者の場合、利益が出なくても対価を払わなければならない

利益に対して、分配する対象が、2種類存在するので、物事が複雑化する

いっそのコト、労働者も配当を受け取るだけというカタチに、すれば単純化出来る

ただこれだと、利益が出るまで労働者は、賃金を受け取れない。そうなると生活は出来ない

利益が出るまでの準備段階で掛かるお金というのは、余剰資金である必要がある

利益が出るようになったらどうだろう。そうなれば、賃金の一部で労働者が株を買っても良い

それによって、労働者であっても、経営側に回れる

会社の構造が、配当一本化という、単純なカタチに近づく

全てが配当になると、分配は分かり易い。山分けで済む

ただ、利益が無くなると途端に、崩壊する

働き手の問題だけで解決出来ればいいが、時代や世の中の流れで、どうしようも出来ない時もある

その場合、その企業は消滅するコトになる

時代や世の中の流れで、あっさりと消滅する

とすると、配当一本でやるのは、リスクが高いと言える

利益が出なくなる時、会社は労働者を切って仕切り直しをする場合と、経営者を変える場合がある

労働者というのは、会社が利益が得られない場合、会社を渡り歩く運命にあると言ってもイイ

終身雇用というのは、その運命に逆らっている制度とも言える

これはおそらく、その時代や世の中の状況のみで、成り立つ幻想だろう。状況が変われば成り立たない

経営者は、利益をあげられなければ、やめさせられるのは当然

時代や世の中の変化も読み取って、会社をどうするか決めなければいけない

どちらにしろ、経営者も労働者も、どちらにしても世の中や時代の流れは見なくてはいけない

そして、状況によってはその会社を去り、別に移るコトもありうると、片隅に置いておかなければイケない

仕事は分担する事が基本だが、任せっきりも好ましくない

あくまで、一人ひとりが作りあげたモノ。最初からあったモノではない

誰が会社を作っても良いし、労働者になっても良い。決まり切ってはいない

ならば、やはり一人ひとりは、経営者側と労働者側のどちらにもなる意識は必要

そして、まるで別の会社に勤める意識も、いつでも持っている必要がある

企業は商品を、売る存在。商品を買って貰えるかは、お客さん次第

お客さんは、どう転ぶか分からない。絶対ではない

ならば、安定を求めすぎる事自体、無理があるように思う

お客さんにどういう商品を、提供するべきか。その戦略は共有するべき

共有して、個々に考えを持つべき。絶対ではなく移り変わるので、どちらにでも転がれる準備をしておく必要がある

どちらにも転がっていく。ならばお客さんを、時代や世の中を、一人ひとりが『キャッチ』しておく必要がある

会社は不安定。絶対ではなく、その都度変化させるモノ。状況は変わる。それを見ないのは、自殺行為

-えすかれーしょん