きせつ
おかしく感じる
そこから外れる程に
季節というのは何だろう。時期というのは、どういう意味合いと、繋がっているんだろう
季節外れという言葉がある
たとえば今、サンタクロースやクリスマスというモノは、それにあたる
好きであるならば、サンタクロースを一年中楽しんでも構わない
ミッキーマウスやポケモンなどは、いつでも楽しめる存在
それらのモノと、サンタクロースは、認識としてナニが違うんだろう
イベントと、カレンダーは密接に関わっている
クリスマスというイベントは、12月をその居場所として存在している
1月は、その居場所から外れるので、違和感を感じる
1年の中に、いろんな居場所を作っているのかもしれない
その居場所のコトを、季節や時期として、認識しているように思う
時間というのは、区切りなく流れるが、太陽や地球の動きをもとに、暦という区切りを付けている
それにより認識出来る
さらにその区切りに、彩りとして、行事やその時を象徴する、植物などを添える
象徴するモノをとらえるだけで、その時期や季節の気分になれる
季節外れや時季外れのモノでは、その気分になれない
混乱して、おかしな気分になってしまう
その時期その時期で、添えられるモノは決まっている
それを観るコトで、調整しているのだと思う
歳を取ると、一年があっという間。と言う表現をよく聞く
実際同じように生きても、年齢によって感覚というのは、ズレていくモノのように思う
そのズレを修正する為に、象徴するモノを見て、行事をするのかもしれない
感覚は曖昧でズレている
みんな同じように感じているというのは幻想で、全然違う感じ方をしている
だからこそ、調節する仕組みが必要なのだと思う
団体行動をするヒトが、最初にみんなの時計を合わせるように
社会というのは団体行動だから、ズレというのは、許容しにくいのかもしれない
多様性を嫌がるのも、許容してると、手間がかかり過ぎるってコトなのかもしれない
ギクシャクしないように、スムーズに運ぶように。その為に季節や時期というのは、設定されたように思う
心も体もズレを修正し、その時期に合わせる。そして次に備える。さらには他のヒトとも、同調する
そうやって、生活を営んで来たのかもしれない
それは智慧。しかも、彩りとしてそれを楽しむ。楽しみながらの調整
そう考えると、なるほどよく出来ている。そう思う
季節は、調整。感覚はズレるので、意識的に楽しみながら調整する。スムーズに運ぶ為の智慧