わかりあう
リスク。
平和的な言葉の真実。
わかり合うというのは、平和的に聞こえるが、リスクの上で成立する。
リスクがなければ、わかり合うコトは出来ない。
安全圏にいては、わかり合えない。
みんな世間に求められる自分を演じて、生きている。表面に表れているのは、演じている自分。
本当の自分ではない。
表面の自分を見せているというコトは、安全圏であるとも言える。
ウソの自分なので、それを指摘されても、さして傷つかない。
わかり合う為には、もっと深い所にある、本当の自分を出すコトが必要になる。
そのリスクを冒す必要がある。
みんな恐い。
本当の自分を出すというのは、極力避けたい。
でも、その恐さを越えるコトが出来るから、わかり合える。
本当の自分を出し合うから、わかり合える。
本来は本当の自分だけのハズだが、社会性が出来るほど、本当の自分は奥に引っ込んでしまう。
おそらく求められる自分はとても立派なので、それを演じなければいけない。
本当の自分は、それほど立派ではない。それだけに、かなり背伸びをしなければいけない。
背伸びをして、演じ続ける内に、それが本当の自分のような気がしてくる。
本当の自分はさらに奥に追いやられて、自分でそれを蔑むようになる。
本当の自分を、蔑んでいる。コレはとても不健康。
社会の成熟とともに、その状態は進み、不健康になっている。
圧迫感や、窒息感、閉塞感を感じるようになる。なぜなら本当の自分では無いから。
本当の自分は、押し込まれて、閉じ込められているから。
わかり合うとは、その本当の自分を解放するコト。
解放し合うコト。その時に、圧迫感や窒息感や、閉塞かがとれ、呼吸が出来るようになる。
本来の自分が、取り戻せる。
みんな無理をしている。そこから救い出してくれるのは、恐怖を乗り越える勇気。リスクを冒す、勇気。
わかり合うはリスク。その恐怖を越え、さらけ出せなければ解放されない。みんな囚われた本当の自分を隠しながら、生きている。