えすかれーしょん

りっぽう

りっぽう

出来ない。

諦める。

立法の人間が、出来なくて諦める。法律があるからと、諦めている。

立法は国会。国会議員が、法律を作るコトが出来る。

法律を作れるハズの人間が、法律でダメだからと諦める。

どういうことだろうか?そんなコトがあるのだろうか?

これは実際よくある話。というよりも、コレしかない。

自分たちで法律を作るコトが出来るという、自覚がない。

法律を作るコトが出来る人間の振るまいが、どうあるべきかを知らないのだと思う。

法律を作れる人間は、現行の法律に囚われてはいけない。

いつでもどうあるべきかを考える。

どういう決まりであるべきなのか。

それが出来たら、主権である国民に報告、説明を丁寧にする。

そして実際法制化していくという段取り。

困ったことにそうなってはいけない。現状の法律に囚われすぎる。

大臣に対して、この法律は知っているかという質問がよくある。

法律など知っている必要は無い。必要な時に法律に照らせ合わせてどうすればいいか、決めればいい。

おそらく知らないというのが、恥ずかしいのだろう。知ったかぶりをして失敗する。

優先順位を、とらえているとは思えない。

もしも、必要性はあるのに、現行の法律がそれに対応してない時はどうするのだろう。

そんなモノは簡単で、新しい法律を作ればいいというコトになる。

でも現状は、現行の法律でなんとかやろうとする。

現行の法律に囚われすぎて、あるべきカタチになれない。

立法と行政のトップを握っている与党がするべきコトは、どうあるべきかをいつも考えるコト。

どうあるべきかだけなので、現行の法律というのは、参考程度で構わない。

参考程度で構わないモノを、絶対的なモノだととらえている。これでは、法律など作れない。

政治家はふんぞり返り、困ると官僚に泣きつけ押しつける。

官僚もそれを知っているので、尻ぬぐいは慣れている。

政治家が法律を作るモノとは、思っていない。

A案、B案、C案を作って、あまりアタマを使わなくても良いように、お膳立てをしてあげる。

ある程度どれを選ぶかを想定して、誘導する。もう、A案、B案、C案しかない。

与党の国会議員は、そのやり方を疑いもせず、それに乗っかっていく。

どうあるべきかを考えていれば、A案、B案、C案など、除けてしまえばいい。

あるべきカタチ一つでいい。

官僚に押しつけ続けてきたから、そうモノだと思ってしまっている。

法律を、自分たちの手で作れなければいけない。そしてどうあるべきかに沿う。

国民にとって、どうあるべきなのか。生活者にとって、どうあるべきが良いのか。

そこは、ズレてはいけない絶対のポイント。細かいデータは、その都度入手すれば済むコト。

立法は、嗅覚。どうあるべきか、たえず捉える、考える機関。どうでもいい現行の法律に、絡めらとられているから、身動きがとれなくなる。

-えすかれーしょん