ほけつ
バッターボックスに立てない。
打つコトは出来ない。
補欠はあぶれた者。そのチカラを見せようにも、場を与えられていないモノ達。
そのあぶれたモノ達のチカラは、くすぶっている。
くすぶったそのチカラは、どこに行くのだろうか。
本来ならば、何かをする為のチカラ。別のことに使ったならば、悪質化するコトが多い。
ただ、本来のモノにチカラを使えたなら、それは良い結果をもたらしてくれる。
補欠達は、場を求めている。場は、ネットの中では容易に作れる。
おそらくネットは、補欠達によってクオリティが保たれていく。
普通のヒトが片手間でやるのでは、ネットでのクオリティは低くなる。
でも、補欠達ならば、そのモノを愛している。愛しているモノ達が、低いクオリティを許せるハズがない。
もともとチカラが無くて補欠になっていると、決まってはいない。
いろんな事情がある。いろんな不運もある。社会の構造的な問題もあり、チャンスすら来なかった可能性もある。
実力があっても、門前払いというコトもある。いろんな理由で、補欠になっている。
そのヒトたちが、それぞれの分野でネットを支えていくとすると、どうなるだろう。
世の中的には補欠かもしれないが、ネットの中ではもう、そうではない。
ネットの場で存分にチカラを発揮出来るとしたら、それは一つの世界になる。
現実の経済が弱体化してしまっている今、チカラはあってもあぶれてしまうヒトは、多くなっている。
このまま経済が弱体化すれば、社会は新たな担い手を求める。
その時に、ネットの中で成熟していた者達の、出番が来る気がする。
新たな担い手として、ネットのクオリティを保った者達が、新たな戦略で突き進んでいく。
従来のやり方を気にする、線の生き方をすれば、ネットなどと言う危なっかしいモノに、チカラを注いでも意味がない。
でも、答えだけを探し求める点の生き方ならば、この可能性だらけのネットの世界が、次の担い手としてふさわしい場と気づくハズ。
全てネットで解決はしない。でも、担い手が育つには充分な環境。
育て合いながら、成長していく。従来型には囚われない、本当に必要なモノを見つめていくエネルギー。
補欠だったモノが、次の世界で担い手になっていく。その為の準備期間。
今はうまくいかなくても、ネットの中でチカラを蓄え、構想を練っておく。いつでも担い手になれるように。
他人にあたって、憂さ晴らしをしても仕方がない。それでは、チカラの使い方が違っている。
ネットの世界で充分、探して鍛えておく。近い未来の為に、担い手として恥ずかしくないように。
補欠は、担い手。くさっても意味は無い。次の担い手!シッカリとネットで暴れて欲しい。前だけ見て進む、坂の上の雲だけ見る。