ぽじしょん
ギャップ。
ギャップを埋める為に、毒を吐く。
想定と現実のギャップを、毒を吐いて埋めていく。
自分で自分を追い詰めていく。
想定する自分とかけ離れるほど、不安になる。
他の人に見せる顔がないと、勝手に恥じていく。
恥ずかしい自分を隠さなければイケない。
自分が優位にあると、示さなければイケない。それで毒は吐かれる。
必要以上に毒を吐いて、ダメな自分を隠そうとしている。
毒を吐いているヒトは、余裕が無い。
その余裕を無くしている一番の要因は、自分。自分で追い詰めている。
脳が作り出した自分とのギャップが、居場所を無くさせ、毒を吐くことで優位に立ち、世間的な居場所を確保する。
それはウソの行為。ウソの行為なので、本質的には何も解決しない。
それでくり返す。まるで無限地獄。
良いポジションに、みんながつけるハズはない。そのポジションには、ごく一部の人間だけがつける。
ポジションが無くても、それを肯定する。それが出来るならば、毒を吐く必要もなくなる。
ポジションにつけるかどうかは、社会の問題。そのヒトの能力や努力のウェイトは小さい。
努力はすると言え、ポジションにつけなくても、それで良い。
ポジション依存が強すぎる。
ポジションに依存しすぎて、それ以外のモノに目が向いていない。
本来は、もっと自由。その自由の中で、ポジションというモノも確立してきただけ。
既存のポジション以外に、目を向けるというのも、アリ。
全てが何かに所属していないとイケないという、脅迫の中で生き過ぎている。
所属に依存しすぎて、他を見るコトが出来ていない。
本来は自由。ただしそれは本当の恐怖。本当のサバイバル。とても厳しい世界。
一度は、本当の恐怖に身を置いた方が、イイかもしれない。
最初から生ぬるい社会にいると、それが全てだと思ってしまいがち。
そんな幻想で自分の首を絞めるならば、最初は本当の自由から始めた方がイイ。
その方が社会の意味や、自由の意味もよく分かる。
社会はヒトが作ってきたモノ。絶対のモノではない。同時にポジションも、絶対のモノでない。
そんなモノに苦しめられる必要もなければ、優位に立つ為に毒を吐く必要もまったくない。
ポジションは、作り物。社会は絶対のモノではなく、ヒトが作ってきたモノ。自由という恐怖の体験が、不足している。