へんかん
楽しんで。
たとえば同じ経験。
同じ経験でも苦しく思うヒトも居れば、楽しさに変換出来るヒトも居る。
自分のベースをどこに置くか。
楽しさの中に置くか、それとも苦しさの中に置くか。
とても嫌な経験をしたとする。楽しさをベースにしているヒトは、嫌な思いをしている自分に違和感を感じる。
このままではイケないと思う。
苦しさをベースにしているヒトは、嫌な経験も当然のコトだと受け入れる。
そのまま蓄積される。
楽しさをベースにするヒトは、嫌な経験を受け入れられず、逃げてしまう人も多い。
でも、ごく一部のヒトで、楽しさに変換してしまうヒトも居る。
『佐賀のがばいばあちゃん』などは、その典型だと言える。
どんなイヤなコトでも、プラスに変換してしまう。
実際にそうならなくても、思い込む。コレはとても大切。
同じ経験であっても、受け方で物事はまるで違う意味になる。
楽しく変換してしまえれば、あとはそれを楽しむだけ。
楽しくないモノは、ウソとする。
前提にあるのは楽しさ。楽しくないモノが出て来たらウソなので、それをホンモノにする。
変換して、楽しいモノに換える。
世の中は、嫌で苦しいモノばかり。これは、変換のし甲斐がある。
同じ結果を出すのであれば、楽しくやってしまって構わない。
いかに楽しくやるか。その変換上手となりたい。
物事は、そのまま受け止めなくてもイイというコト。
勝手に加工してから、受け止めてしまってイイというコト。
突然の災難などもあり、受け止められないコトもある。
変換し辛いコトもある。
それでも、変換を試みる。それはヒトの智慧。智慧は、困難な時にしか生まれてくれない。
困難なコトは、いつでも起きる。まるで試しているかのように、次から次に起こってくる。
それはしょうがない事実。あとは、それをどうやって変換するのか。それは力量。
そのまま受け止めてはイケない。一旦楽しく変換。そうなるように智慧を使ってみる。
そうやって智慧を使っているヒトを、マネてみる。
変換は、智慧。楽しくないモノはウソ。良い方向にねじ曲げて、楽しく生きる。自分で加工、自分好みの味付けにしてから、受け入れてみる。