えすかれーしょん

りかい

りかい

押しつけられては、不快。

それがどんなによいモノであっても。

経験しなければ、理解出来ない。

どんなに良いモノでも、理解出来なければ不快なだけ。

理解出来るだけの経験をしていなければ、イケない。

なぜなら、良い、素晴らしい環境というのは、不自然だから。

不自然に努力して作っているから。全く何も努力しないでは、素晴らしい環境など出来るハズはない。

努力して、居心地が良い、素晴らしい環境は作られる。

でも、経験が少ない子供などは、それを理解出来ない。

そしてその不自然さを、とても嫌う。決まり切ったモノを押しつけられる気がして、不愉快でしょうがない。

子供は感情の赴くままに、振る舞いたい。

人をバカにして、意地悪をして、暴力や言葉で言い負かせて、嫉妬して、恨んで、呪って。

とても自然な振る舞いをしたい。子供はそれを望む。

ただ、その結果が待つモノは、とても不快な思い。そして痛み。絶望。不信。疎外。

その嫌なモノというのは、経験しなければ分からない。

加害者側になり、被害者側にならないと、理解が出来ない。

経験して落ち込んで、それで望む環境を、より良い環境を求めるようになる。

そこで、大人達が用意してくれた環境が、素晴らしいモノであると気づく。

もうその時には、不快ではない。押しつけられているという、嫌な感じもなくなっている。

その中での自分の役割も果たせる。それは努力しないとイケない。

ずっと努力し続けないとイケない。それをし続けるコトになる。素晴らしい世界を、守る為に。

そうである価値を知っている。嫌な経験を沢山して、沢山傷ついて、とんでもなく落ち込む。

それがあって、自分の振る舞いを反省して、あるべきカタチを大切に出来るようになっている。

大人になる為には、とても嫌な経験を沢山しなければイケない。

加害者にも、被害者にもならなくてはイケない。

そこを抜きにしてカタチだけ上手にマネ出来たとしても、それはウソになる。

空気を読んでウソをついているだけで、本当は分かっていない。

子供は残酷。残酷は、ある意味自然。

そこを必ず踏んで、嫌な思いをする段階があって、そして努力して素晴らしい環境を作っていく。

最初から、最上のカタチにはならない。

最上なカタチは理解出来ない。

必ず通る道を通って、大人になっていく。もちろん年齢的に大人であっても、経験しなければ、子供の頃のまま。

加害者と被害者は両方ないとイケないので、経験はバラバラ。ヒトそれぞれ、差は出ている。

理解は、素地を必要とする。前段階があって、素晴らしいコトが分かる。ヒトは、完成形では生まれない。未熟から、徐々に成熟していく。

-えすかれーしょん