えすかれーしょん

てをださない

てをださない

境界はない。

なだらかに、縄張りが存在している。

手を出さない、縄張りを侵さない。

縄張りさえ侵さなければ、さほど危険なコトは起こらない。

生きているモノ全て、生活圏という縄張りを持っている。

どうしてもバッティングしてしまう縄張りは仕方ないとして、無闇に立ち入るべきではない。

それは智慧。

お互いが、お互いの縄張りを侵さないというルール。それを中心に置くコトは、智慧。

動物には智慧はない。でも、縄張りを侵さない。

それは恐怖。侵せば争いになり、必要ない被害に遭う。それを恐怖というカタチで知っている。

それが縄張りを侵さない理由。

恐怖がない動物は、平気で縄張りを侵す。それはとても危険なコト。

下手をすると、自分の身を危険にさらしてしまう。

人はどうだろうか。

人に知恵はあるのだろうか。

ザンネンながら、人は恐怖というモノを、他の動物には感じなくなった。

他の動物からうけるリスクは、ほぼ乗り越える手立てを知ってしまったから。

それで、人を恐怖で押さえるというのが、難しくなっている。人以外には、恐怖を感じなくなっている。

その人という存在に、智慧はあるのだろうか。

おそらく智慧はない。侵すべきではない縄張りを、平気で侵してしまっている。

個人のレベルでは、まだ恐怖を感じて行動しているかもしれない。

でも、それが組織となると違ってくる。

人と、組織は、違うモノなのだろうか。

人は、経験や知識で動く。

組織は、計画を立て、その通りに動く。

個人であれば、恐怖や智慧で、他の生き物の縄張りに近づくコトは避ける。

組織の場合はどうかといえば、恐怖があっても計画通り進めなければいけない。

侵してはイケないという智慧があっても、計画に勝てない。

とすると、組織と個人の人格は違うと言うコト。

組織も人が作っているので、人と同じモノと思っていたが、どうも違うらしい。

個人のあらゆるモノは、組織の中では考慮されない。切り捨てられる。

組織は別の生命体と考えた方が、イイのかもしれない。

その目的において、とても非情になる。そして、計画を立てる者によっては、どんな残酷にもなれる。

そのコトを、ヒトは自覚しているのだろうか。

いや、私自体今日始めて分かった。今までそんなコト、聞いたコトもない。それに近いコトも、聞いていない。

とすると、誰もそのことを自覚などしていない。

組織というモノに、良いイメージしか持っていない。コレはとんでもない勘違い。

組織というのは、とんでもなく危険な存在になりうる。

そうか、組織にとって一番重要なのは計画。それに沿っての行動。

侵すべきではない縄張りですら、平気で進んでいく、横暴な存在。

それでヒトは、恐怖のないモノのように、智慧のないモノのように、振る舞えてしまうというコトか・・・・・・。

手を出さないは、戒め。組織ではそんなモノお構いなし。別の人格。とても危うい存在。今までまるで、自覚していなかった事実。

-えすかれーしょん