しょうひ
とてもイヤな表現。
おそらく後のコトを考えていない。
消費というのは、とてもイヤな表現。再生など一切考えないで、ゴミにしてしまうイヤな言葉。
ずっと違和感を感じていた。
消費という意味は、使えば無くなってしまう。そう理解している。
たとえば燃料などは、使えば確かになくなってしまう。コレは消費かもしれない。
飲み物や食べ物も、口の中に入れた後は排泄されるモノなので、消費で良いと思う。
ただ、他の製品は、使ってもなくなるモノではない。コレもひっくるめて、消費と言っているコトに、違和感を感じる。
使うと無くなるという意味で、お金を消費しているという意味だろうか。
確かにそう考えると、シックリいく。消費というモノを、勘違いしていたのかもしれない。
お金は消費されて無くなる。でもまた、他のヒトに渡り再利用される。
消費されるが、また次の所で消費されて、その次にも消費される。何度も何度も再利用されている。
なるほどお金は、次々と再利用される。しかも使われても、また使えるモノになる。
もしかすると、お金というモノ自体は、相当エコな存在かもしれない。
これほど再利用されるモノは、他には、水や空気ぐらい。
お金は消費されるが、循環されている。リサイクルの見本かもしれない。
どうもモノが消費されていると、勘違いしていた。消費されていたのはお金で、さらにそのお金自体は循環している。
では、モノはどうなのだろうか。モノは購入している。
購入というのは、お金を消費して、代わりにモノやサービスを受け取るコト。
出来れば購入した製品も、いずれ再生されるように仕向けたい。その為には、どうすればイイのだろう。
製品はお金と違って、そのままでは再利用出来ない。
使って無くなる消耗品は、仕方がない。では使っても無くなるコトがない製品の場合、どうするべきか。
循環は最初から、その後のコトを考えなければイケない。
空気や水も循環されるが、その途中には、いくつかの媒介者がいてシステムが成り立っている。
循環させる為には、途中の媒介者が必要になる。この途中がなければ、モノはゴミになり廃棄される運命しかない。
意識的に媒介者を作る必要がある。もしくは媒介者に合わせて、製品を造る。
媒介者に合わせて製品を造れば、その後はやりやすい。
逆に媒介者を無視して、勝手に造れば、循環からは遠ざかってしまう。
媒介者を造るというモノ手だが、それなりに労力が要る。あともう一つも二つも、工夫が必要と思う。
媒介者で、システムを構築して循環させながら、製品としてのクオリティも下げない。
とても智慧と、工夫が要る。おそらくやりたがるヒトはいないと思う。それだけに価値があるかもしれない。
誰でもやるコトだけでは、いずれ行き詰まる。誰でもやらないからこそ、その価値は高まる。
どうすれば、元のカタチに戻せるのか。媒介者はどこに居るのか。
おそらくは、化学や科学、生物学などを総動員しなければイケない。従来はバラバラでは、やっていたと思う。
でもゴールを定めて、よりシステム化してやるべきだと思う。総力を挙げて、取りかかる必要がある。
購入者も協力する必要があるかもしれない。購入した段階で、責任者にもなる。
そのモノを最終的に循環に乗せる為に、購入者も責任を持つ。
消費するのはお金で、モノは所有し責任を持つ。所有したからには、循環するまで責任を持つべき。
モノを消費すると考えるととても無責任だけど、消費するのはお金で、モノは責任を持つと考えるととても恐い。
所有するコトは、面倒なコトとも言える。面倒なコトを少なくする為には、どうすればイイのか。
出来る限り持たなければいい。可能であれば、レンタルやリースの方がイイ。
その方が、循環という目で見ても、やりやすくなる。
所有するコトを、やめた方がいいような気がする。面倒を引き受けなくても済む。
循環を考えても、リースなど紐が付いていた方がやりやすい。持ちすぎれば、責任が増すだけ。
まずは、循環を成立させる為に、媒介者を捜し、システムを作るコト。それが出来たら、所有せずリースのような紐付きにするコト。
未来は是非そうなって欲しいと思う。少なくとも、現状と地続きの未来は、そちらに続いていると思う。
消費は、お金のみ。循環するには、媒介者を通じてのシステム化していく。消費をモノやサービスだと、勘違いしていたとは、お恥ずかしい。