ほーる
断片では迷う。
自前ならば、迷わない。
全てを自前にする為に、ゼロからホールで作る。
全体を、作れるようにならないと、結局頼ってしまう。
断片的に仕分けても、それは恐くも何ともない。
どうしてかと言えば、その時だけだから。そして全体像を知らないから。
さらに言えば、組織の体質から変えているわけでもない。体質がそのままならば、いずれまた戻ってしまう。
仕分けるのではなく、全体をゼロから作るという意識でないと、絶対に成功しない。
仕分けは相手のモノ。
ホールで作れば、自分たちのモノ。全部を作り、自分たちのモノにしなければ、絶対に成功はない。
全部を作ると言っても、官僚を使わないというコトでもない。
まずゼロにして、もう一度そこから官僚に作らせる。それが良ければ、組み込むし、悪ければやり直させる。
必要がなければ、切ってしまえばいい。
全体を作ると言っても、ゼロから監視すればそれでも良い。
重要なのは、ゼロから全体を作ると言うコト。
これは私にとっては、当然のコトなのだが、どうも世の中はそうではないらしい。
全体を見て動くというのは、一つの能力だという気がしてきている。
みんながみんな、全体を見て行動出来るわけではないと、うっすら思えてきている。
私は、物事を全体で見ないと気が済まない。そうでないと分からないから。
なので、ひとつひとつの小さな事柄については、極力単純に的確に捉えたい。
そうでないと、全部を把握するのも無理だから。
極力簡単な言葉で、的確にすれば、ひとつひとつに掛かる時間も少なくなる。それで全体を見るコトが出来る。
当然みんなもそうしていると思っていた。でも、とても難解な言葉を使う。
難解な言葉と、不的確な言葉を使いたがる。これは私には信じがたい現実。
そんなコトをしたら、全体を見る事は不可能。なぜ難解な言葉を使ってしまうのか、とても疑問だった。
その答えとして、全体を見る気など最初から無い。最初から断片的にしか見ていない。という結論に達した。
最初から全体を見る気など無いので、単純化も的確化もしない。断片的にやり、責任もとらない。
実は、そこが重要なポイントなのかもしれない。
仕分けは断片である以上、その段階で出来ない。全体像で捉えていないので、やりくりも不可能。
そしてナニより、責任意識も低い。自分たちの責任で、自分たちの問題として捉え切れていない。
確かに国の機関のやるべき量は、膨大。ならばこそ、物事は単純化し、的確に捉えなければいけない。
もともと全部をやろうとしていない。なのでこうなる。無責任にもなる。
私は、単純化して小学生でも分かる程度にするべきだと考える。
誰もそんなコトを考えないから、出来ないと思われるだろうが、私は出来るという確信がある。
ゼロから初めて、難解にする方向を排除して、同類項をまとめ、丁寧に整頓させれば済む。
それで出来上がる。単純化すれば、行政がどうあるべきかというのも、見えてくる。
従来は、ずっと見えないままで断片的にやっていたとしか、言えない。
高度で無責任でお粗末なモノを、呑まされ続けていた。
現状の仕分けを見る限り、これからもその状態は続く。もしも全体を見るならば、単純で明確化は必須条件と言える。
ホールは、責任意識。ゼロから全体を作る為、単純に明確に。政治をやるニンゲンは、全体像で見る能力を必須としたい。