だみー
自分が傷つかないように。
昨日出て来た要素から。(昨日のスベるも必読。)
余裕を持っていられるように、ダミーを用意する。
ダミーがあれば、堂々としていられる。自分が傷つくコトもない。
とはいえ、ダミーというモノは、どうやって作ればいいのだろう。
それが有効なのは分かるが、作り方など考えたコトもない。そこでどうやればいいか、考えてみたい。
ダミーはあくまでも、自分の能力を最大値よりも、低いモノでこさえる必要がある。
最大限を出してしまうと、後はないので自分が傷つくリスクが高い。
いつでも最大限を出したくなるが、それではありきたりになってしまうので、ダミーを作る。
ダミーは、自分の能力よりも低いというのが条件。これは実はとても都合がいい。
なぜなら、ハードルが低い。誰でも受け入れられる、コトが出来る。
自分にとって最大値とは、他のヒトにとって理解を越えてしまう、危険性をはらんでいる。
他のヒトにとっても、ダミーを作るコトは好ましいように思う。
ダミーは、やり過ぎてしまわない為の、緩衝材になってくれる。
では、実際どうすればダミーを作れるのだろう。
ヒトは、能力の最大があれば、それより下位のモノは自然と出来るモノと思っている。
でも違う。意外に守備範囲は狭い。下位のモノが出来るかといえば、とてもありきたりなモノが出来るだけ。
そこは、それで広がりがある。その広がりを使いこなすには、訓練がいる。
ダミーを作るには、広がりを使いこなす必要があるので、訓練しなければイケない。
それは自分が切り捨ててしまったモノを、拾う作業でもある。
拾って、構築する。それで、ダミーをつくる。
得意分野のあらゆるモノは、使って良い。使うべきモノ。切り捨てるべきではない。
拾って、研究して、ダミーを作る。
本当に簡単なモノでも、広がりがある。それを疎かにしてはイケない。
ダミーを作れるほどに、研究する。その中で構想する。
なるほど、最高級を知っているヒトは、下位のモノを分かっているワケではない。それは確かにそうかもしれない。
認めるのは怖いコトだが、もう一度積み降ろしていって、下位のモノでダミーを作る。
意外に奥は深い。裾野は広がっている。何も知らなかったと気づくかもしれない。
何でこんな簡単なコトと、腹立たしくなるかもしれないが、それは自分の要らないプライドのせい。
プライドはあるが、ならばこそしっかりと簡単なモノで、成立するダミーを作る。
何でも出来るようにしておく。これは、見落としがちな、盲点。
最上級のコトを押さえれば、何でも出来ると勘違いしていた。それでは、ダミーは作れない。
ダミーを作るというのは、本当の意味でその世界を知り尽くして、使えるようになるというコト。
結局、何でも知っているようで、何も知らない。
原点に戻って、最初からやり直す。そこからダミーを作っていく。
もしかすると、その段階でダミーではないかもしれない。
もともと得意分野。広げていくコトで、縦横無尽に発想も広がる。
今までに考えつかなかったコトも、出てくるかもしれない。
ダミーというコトではなく、もっと自由に物事を生成させるコトが出来るようになるかもしれない。
目的は、ダミーづくりで構わない。でも、その結果生まれるモノはとても広がりを持つ世界。
実は何も知らない。得意分野であっても、もっとやるべきコトはあるのかもしれない。
それを知れば、スベった後の逆転の仕方も、もっと増えるように思う。
原点に返って、ゼロからやり直す。ダミーを作りながら。もう一度、振り返っていく。
ダミーは、振り返り。切り捨ててしまった中から、もう一度作り直していく作業。知らない世界は、まだ足元にも広がっている。