けんちく
言葉は積み上げる。
一定のルールに則って、積み上げている。
言葉は建築。ルールに則って、積まれていくモノ。
言葉は音で、時間を使いながら、次々に連続させるコトで、建築されていく。
一本の道に並べながら、積み上がっていく。
音声でも、文字でも、必ず一本の道の上に、出来上がっている。
それ以上の深みはなく、ルールが存在するだけ。
順番だったり、セットになっていたり、違う意味が隠されていたり、変形があったり、省略があったり。
その言葉によって、いろんなルールが存在する。
でも、一本道の塔を建築するという点では、共通している。
積み上げるコトで、出来上がっていく。
現実世界は3次元で、それを頭の中に作るイメージも3次元。
でも、言葉は時間と共に変化させる音を使うので、一本道の一次元。
文字も、声を置き換えたモノなので、1次元になる。
3次元の世界に、1次元のモノを持ってきているので、そこの調整が必要になる。
3次元的に理解する必要は全くないので、言葉に対しては、相当な部分を切り捨てて良い。
一つの言葉で、複数の意味を持つ場合もある。これは3次元的な広がりではない。
他の言葉と連携した時に、違う意味合いになっていく。性質は似ているが、連携する言葉によって、微調整される。
全く異質の意味に変化するコトは希で、ほとんどその意味の周辺の解釈の変化に留まる。
とても狭い範囲での遊び。
それが長蛇の列になって、積み上がっていくが言葉の特徴。
3次元的な広がりはないが、1次元という制約の中で、場合によっては永遠に長く連なっていく。
どちらかというと、マラソンのような長距離型の能力を必要とする。
なるほど、ヒトの中には3次元が得意な人と、1次元の長距離が得意な人が居るのかもしれない。
他言語を習得するとなると、せっかく積み上げて作った建築とは他に、また別の建築を作らないとイケない。
全くのゼロから作るのではないので、楽なハズだがどうもそうではない。
今までのやり方のクセが、邪魔をする。全くゼロから作ろうとすればいいのだが、どうしても今までの様式に囚われてしまう。
共通する部分もあるが、同じモノと考えるほどに、阻害される。別物と割り切った方がイイ。
言葉は積み上げていく建築で、そのパズルにはパターンがある。
つまりある程度決まっているので、2,3語の組み合わせを身につける。
くっつくモノと、くっつかないモノがある。どれがくっついて、どれがくっつかないのかを実際のパズルで、練習しても良い。
同時に音声も、いろんなルールや特徴がある。それも2,3語の組み合わせで、習得する。
あまりに沢山を求めても、不良品が増えるだけ。しっかりとしたルールが存在する。
そのルールに則って、正しい組み合わせで、建築する部品を作っていく。
その部品が、さらに正しい位置に配置され、言葉は建築されていく。
母国語は、無意識に出来るようになっている。いや、本当は使えるまでに、相当時間と、段階を踏んでいる。
でもそれは忘れてしまう。無意識にとは、忘れてしまったというコト。
大人は無意識に出来るコトが沢山あるが、それだけ忘れてしまったというコトかもしれない。
散々苦労したコトを忘れ、簡単に出来ると思ってしまうので、他言語を身につけられないのかもしれない。
言葉は、ゼロから。そして組み合わせる部品で、覚えていく。一次元的なモノだから。
建築は、言葉の構成。一次元的に長蛇になって、意味をなす。言葉は独特なルールの建築。その様式を、楽しめるほどになりたい。