ちょう
葉っぱを奪い合う。
まだ芋虫のまま。
芋虫から蝶に変わる。それは完全にカラダを変化させてしまう芸当。
現状を芋虫と考える。蝶は理想型。
それぞれにどんな蝶になりたいのか。なりたいモノが、理想型となる。
現状は芋虫のまま。お互いに葉っぱを奪い合う、傲慢な芋虫のまま。
芋虫のままで、良いワケがない。日本もアメリカも、ヨーロッパも、まだ芋虫のまま。
今の世界は、葉っぱの奪い合い。どれだけ自分達が有利に葉っぱを、とれるかだけ考えている。
その段階で、芋虫であるコトは確定する。
自分たちのコトしか考えていない。
国民という単位であれば、安易に切り捨てたりはしない。
企業での利益は、税金として国に蓄えられ、そこからいろんなカタチで回る。
この時、弱者に対して国のお金を使う。弱者を切り捨てはしない。
ただ、グローバルな中では、弱者を切り捨てる。
一つの国に利益が集まっても、他の国にそれが渡るルートがない。
弱者はそのままになる。これでは流れが滞るし、弱者も固定され不健康な状態。
一つの所に利益が集まっても、その国はずっと豊かでいられない。
なぜならモノに溢れて、需要が細っていくから。
その国は需要が細るのに、他の国は需要が沢山ある。それでもお金が無いので、需要が満たされない。
グローバルな経済にとって、とても不健康な状態。あきらかにバランスが悪い。
従来は、自分のコトしか考えない芋虫。自分の所にいかに利益を持ってくるかしか考えていない。
それは仕方がないコト。なぜならばその当時は、国までが全てだったから。
でも現在は、グローバルで動いている。民主主義や自由主義を考えた時とは、状況が変わる。
ほんの少しだけ。それだけ修正すればいい。難しいコトではない。
ただ、考えは改めないとイケない。自分だけの葉っぱを求める、芋虫のままは認められない。
国に囚われずに、その範囲をグローバルに広げれば良いだけ。
もちろん法律や言語がバラバラで、国のようには行かないという指摘も分かる。
ならば経済に限って、そうする。お金に限って、回るように仕掛ける。
お金は流れるモノ。流れさえ出来れば、いずれまた戻ってくる。そしてまた流れる。
国でせき止めてしまうコト自体、本当はおかしい構造。
最初はほんの少しで良い。ほんの少しのお金を拠出すればいい。
ほんの少しでも、それが流れになる。流れれば、需要のある国が買ってくれるようになる。
目先だけを見る芋虫では分からないと思うが、健全なカタチになれば、お金は戻ってくるモノ。
グローバルな中で生きるルールに、改める必要がある。蝶になるべき時が来ている。
今の世界的不況も、元をたどっていくと、芋虫が自分の利益だけを考えて、葉っぱを奪い合った構造的欠陥。
流れをせき止めて、自分の所ばかりに溜め込もうとした結果起こった問題。
大きい世界で、物事を見る必要がある。なぜなら物事自体は、大きい世界で動いているから。
なぜ、国という小さな世界でしか物事を見ないのか。なぜ、目先のお金を惜しんで、流れを止めてしまうのか。
私は蝶に変わるコトを、提案し続けたい。その必要性も、提案し続ける。それだけしか出来ないから。
蝶は、あるべき未来。自己利益を求めるのは、人間の限界線。その一線を越えて、芋虫から蝶になって欲しい。