すろーもーしょん
不思議な現象。
ただゆっくりと、させているだけなのに。
スローモーションにしただけで、なぜか心情的な感覚が、入り込んでいく。
これは一体どういうコトだろう。
一瞬を切り取る写真。動きあるそのままを流す、動画。
動画は、見たそのままの印象を与えるだけ。次々流れて、それ以上の意味合いは持てない。
写真は、どれだけ時間がたったとしても、構図や被写体は動かない。
その中で、見るヒトに委ねられる部分も大きい。止まっている写真が、そのヒトの中で動き出す。
または、写真をキッカケとして過去の記憶が引き出され、頭の中で巡っていく。
動画よりも写真の方が、見る側に自由に想像させる余地を与えてくれる。
では、スローモーションはどうだろうか。
普通の速度で流れて行ってしまう動画と違い、ゆっくりと流れる。
普段はあり得ない光景を、作ってくれる。
たとえば、本来の重力の加速度よりも遅くなる。これにより、ほんの僅か無重力感を演出する。
それは、その先の展開を見ているヒトが先回りして予想する時間を、与える。
通常のスピードでは、起こりうるコトを予想する時間は僅かだが、スローモーションならたっぷりある。
ゆっくり流れるコトで、気持ちもその中に入る。
心地良い音楽と共に、スローモーションにする。すると、登場人物の感情に自分の感情を、投影出来る。
音楽はそれを導き手助けする。さらに感情を投影出来ると、見ているヒトと登場人物の距離も近くなる。
親近感が湧くようになる。
では、その音楽が無いとするとどうなるのだろ。音楽を取り除いて考えてみる。
音楽が無くても、動きや表情はゆっくりなので、感情は投影され、距離は近づく。
やはり写真と同様に、スローになるほど見ているヒトに想像する余地を与え、感情もそこに入りやすくなっている。
どうやらスローにした方が、感情の居場所が出来るように思う。あまり早すぎると、感情の入り込む隙もない。
社会はどんどんスピード化が進む。その中で、早くするコトが良いとされる。
スピードが速くなるほど、考える余裕も、入り込むはずの感情も、蔑ろにされていく。
無理や、不自然さが増えるというコトだと思う。あえて、スローモーションにした方がいいのかもしれない。
その方が、人間らしくなれるような気がする。
スローモーションは、余地。たっぷりと時間を与え、見る側に多くを委ねている。スピード化も考え物。感情はゆったりとした中にしか、住めないから。