かべ
そこから展開していく。
ぶつからない時は、あまり良いモノは出来ない。
壁にぶつかって、思わぬ方向に展開する。そうなると、とても良いモノが出来る。
壁にぶつからない時もある。その時は、最初から予想したとおりの展開に落ち着く。
それに意味は感じない。
やはり、自分の想像を超えた時に、良いモノは出てくる。
起承転結というモノがあるけれど、この転というのは話ではなく、自分の想像を超えろと言う意味だと思う。
つまり発明しろと言うコト。話として、転であっても、使い古されたやり方を用いたならば、駄作になる。
このブログ、壁にぶつかると時間は掛かる。でも、そんな時ほど、良い方向に弾んでくれる。
弾まない時というのは、無かった時。いつも何かあるかなと思って、書きだしていく。
でも無い時もある。不発の時。その場合、とてもイヤな気持ちになる。
壁も嫌だが、それがあって思わぬ方向に弾んでくれる。それを期待する。弾んでくれないとつまらない。
結局自分が何を面白いと感じているかと言えば、そこ。思わぬ方向に弾んでくれる所。
自分の想像を超えていくコトに、とても価値を感じている。
まずそこまで持っていって、壁の前で探し続ける。
壁に出逢う前は、大体の方向性を予想している。そちらに着地点があるだろうと思いながら進む。
でもどうもおかしい。思っている方に進むには無理がある。隔たりがある。
無理に繋げてしまえば、楽ではあるが、ウソになる。自分が求める価値とは、逆方向に行ってしまう。
その隔たり、壁を乗り越える方法を、探しまくる。
とても時間は掛かるし、方法があるという保障もない。あるのは感覚、嗅覚だけ。
保障なんて無くても、確かにそこにあるとこの鼻が言っている。
未知のモノは闇だけれども、その闇の中でもこの嗅覚は、答えの方向を教えてくれる。
賢者は今までの叡智から答えを出そうとするが、未知の闇の中では、そんなモノ役に立たない。
最終的に答えを見つけ出せるのは、嗅覚の方が有利。
その嗅覚に頼って、探し回る。でも、あると感じたモノは、案外裏切らない。確かにそこにある。
毎日毎日、壁にぶつかり、答えをかぎつけるの繰り返し。それがとても楽しい。
やめられない、譲れない、私の遊び。
壁は、トビラ。本当の答えに伸びる、最短の道。しんどいが、それだけにオモロ過ぎる。