えすかれーしょん

ばらばら

ばらばら

自分好き。

気持ちの赴くままに。

みんなバラバラ。インターネットが出来て、ツイッターをすると、そのコトが実感出来る。

こんなにヒトの本音や趣向が、明確に分かる時代は人類史上無かった。

よくこんなにバラバラで、今までやってきたと思う。

一つになってなどという時代には、相当無理をしたのだろうと予想がつく。

いろんな考え、趣向が入り交じり、構成されているのが、ツイッター。

そのヒトの本質が、表れやすくなっている。

自分の趣向と違うヒトの世界は、あからさまに自分と違う世界。

人類史上例を見ない事実を、認識するコトが可能になったその上で、ヒトは何をするべきだろう。

週間フジテレビ批評などを見ると、視聴者はいろんな意見を持っているけど、当然だなと思う。

これだけバラバラなんだから、いろんな意見があるのは当然。少ないくらい。

それだけバラバラだというコトを、考慮に入れる。その上で、いろんなコトを対応出来れば、イケてくる。

これだけの多様性を、本当の意味で知るコトが出来た時代は、今までない。

言葉では多様性と、よく耳にしている。でも本当に多様性というモンスターと対峙出来るかといえば、疑問。

多様性というのは、とても厄介でもある。一つにしてしまった方が、とても楽。

今まで人類は、楽な道を選んできた。つまりは多様性には、向き合ってこなかった。

本当の意味で、バラバラの多様性を受け入れる素地は、今はないように思う。

とすると、何らかの訓練が必要になる。

訓練と言っても、考え方、イメージ。

多様性の中に自分も居て、他のヒトも居て、それぞれの役割を担う。

森にいろんな種類の木や草が生えているように、ヒトもいろんなヒトが、社会の中に生えている。

自分もその一人。一種類じゃないイメージ。バラバラが豊かだというイメージ。

最終的にバラバラというのが、当然になる。するとマイナーなモノが、もてはやされるようになってくる。

なぜならみんなマイナーだから。メジャーというのは、ウソっぽい。無理がある。

本当はそこまでではない。みんな演技している。

おそらくメジャーに対して、懐疑的になってくる。とすると、マイナーを拾わずには居られない。

技術的にも、インフラは整ってきた。マイナーが立つ時代は、可能になってきている。

もう演技しなくてもよくなる。ウソをつかなくてもよくなる。人類が経験したコトのない、開放が待っている。

バラバラは自然。今までと状況が変わったというコトは、自分も変わらないとイケない。突きつけられるのは自分。

-えすかれーしょん