すーぱーまん
強大な敵。
それを、いとも簡単に倒してしまう。
強大な敵を、いとも簡単に倒してしまうスーパーマンを、演出する。
スーパーマンの形式を利用する。堅苦しい学びを、娯楽にする為に。
まずは、敵というモノは強くなくてはイケない。山も高くなければ、登る意味がない。
パッと見ても、難しいと分かる問題を、一問用意する。
こんなモノ解けないと思わせる。それが出来たら、第1段階成功。あくまで見せるだけの敵。
そのあと、スーパーヒーローの旅は始まる。最初は呆れるくらい弱い。
簡単に倒せる弱い敵を倒しながら、経験を積んで、レベルアップをしていく。
でもまだ、最初に見た強大な敵は倒せない。その絶望感だけは残しながら、弱い敵を倒していく。
弱い敵を倒してレベルアップしていくと、モノ足りなくなる。
もう少し強い敵の居る所に、歩を進める段階。
時期は、モノ足りなくなってからが良い。焦ってはイケない。
もしも、ずっと弱い敵だけを相手にしていたとする。それも許容する。
なぜなら、簡単なモノであっても、実はそこから可能性は広がっている。
学ぶ者は、学ぶと同時に研究者にもなりうる。何か新しい利用法、新しい解法を見つけるかもしれない。
一本道の貧弱な学びではなく、新たな方法を見つけて幹を太くしていく、多様性。
たとえ、40歳になって、まだ足し算と引き算しかやって無くても構わない。
それは頭が悪いのではなく、いろんなやり方を追求している証拠。
それだけ長い間やっていれば、あらゆる方向からその利用法などを、構築しているハズ。
それはストックされるべきモノで、更に良いモノなら、新たに学びとして組み込んでいけばいい。
一度高度な学びを済ませたあと、また足し算引き算のような、簡単だと思われている所に戻って、研究しても良い。
そのヒトの人生なので、そのヒトが興味を持つ所で立ち止まって良い。
従来の学びというのは、杉のような細くて狭い貧弱なモノ。背は高いが、応用が利かない。
学びの世界は、せっかく良い物なのに、それが階級化され、下位のモノは蔑まれている。
学びは全て素晴らしいモノで、その利用法、解法はもっと研究されるべき。
学び自体は階級化されても、価値は階級化しない。全てが価値あるモノ。
高度な問題が解けるよりも、簡単でも新たな解法を見つけた方が、研究者としては価値がある。
人類にとっても、役に立っているというように、考え方を改めたい。
一つの目的としては、強大な敵を倒すコト。難しい問題を解けるコトで間違いはない。
でももう一つは、可能性を広げるコト、貧弱な学び自体を、強固にしていくコトにあると思う。
弱い敵を倒しながら、いつの間にか強くなり、強大な敵を倒せるようになっていく。そういう演出。
それと共に、あらゆる可能性を許容し、自由度を上げて学びを太くしていくシステム。
本当はもっといろいろ面白い。貧弱な使えない学びばかりコレクションしても、人類の役には立たない。
スーパーマンは一人ではない。みんなが、それぞれのスーパーマンになればいい。
それぞれのストーリー。そしてそれぞれの発見。それが人類にとっては、とても価値のある行為。
スーパーマンは、それぞれ。学びは堅苦しい一本道ではなく、まだ可能性が広がる育ち盛り。学びをもっと育てたい。