ぼたん
押すと、切り替わる。
生活圏に溢れる、いわばスイッチ。
ボタンを押すと、何かが切り替わる。機械達は、割り当てられた仕事をする。
どのボタンに何を割り当てるのか。それは最初から、決まっているワケではない。
どのボタンに、何を割り当てても構わない。
それで使い手は、どのボタンがどんな意味を持つのか、覚えなければイケない。
覚えなくても使えるボタンがあるとすれば、それは的確にヒントを提供している証拠。
本来ならば、何も分からない。このボタンを押すと、どんな振る舞いをするのか?何が起こってもおかしくない。
それがなんとなく、このボタンを押せば、こうなるだろうと分かって、実際そう振る舞う。とすると、それはシッカリと考えられているコトになる。
ボタンに説明が付いていて、その通りの働きをする。その説明も、長くは出来ない。
短い言葉で、的確な説明。それを提供すれば、使い手は覚えなくても使えるコトになる。
目的の操作をするのに、いくつかのボタンを押さなければ辿り着けないとする。
そのボタンが、一番離れた所から、一番離れた所に飛ぶようでは、操作はし辛い。
関連する操作ならば、ボタンは近くにないと不親切。
そしてボタンの数が多いのも不親切。
さらにボタンのカタチに、違いがないのも不親切。
一目見て判断できるモノこそ、考え尽くされた最上のモノ。
一目見て、何が何だか分からないモノは、まだ余地を残している。
さらにボタンを押しても、何が何だか分からないというなら、もっとちゃんと考えないとイケないというコト。
分かりづらいモノは、作り手の怠慢。仕事の甘さが、浮き彫りになっている。
ボタンは日常的に使っているが、そのウラ側にどれだけ作り手が考えているかも、実は隠れている。
これを押せば、このボタンを押したくなる。その通りにすると、自分のしたかったコトが実現される。
機械と、感覚の距離がゼロになる。それが出来れば、作り手としては成功。
普通、機械と感覚との距離は空いている。作り手が機械に合わせて作れば、距離は空いたまま。
使い手が機械に合わせて、膨大な操作を覚えなければイケない。
距離をゼロにするのは、プロデューサーの力量。使い易いように、言う事を聞かない機械達を、ねじ伏せていく。
感覚で出来るとすれば、説明書も最低限で済む。
説明書が薄ければ、それはプロデューサーの自信の表れ。
距離がゼロになったという、自信を示している。
ボタンを触れば、そのプロデューサーの力量が分かる。
どれだけ、感覚と機械の距離を縮めたのか。それがわかる。
機械は、傲慢で分からず屋。それを強引にねじ伏せて、使い勝手の良い物に、生まれ変わらせる。
プロデューサーは、機械のイイなりになってはイケない。機械をねじ伏せないとイケない。
機械のイイなりになった分、使い手に膨大な手間と、ストレスを与えるコトになるから。
ボタンは、結果。機械と感覚という相反する2者を、いかに結びつけたかの結果を示す。ジョブズは機械の言いなりにはならなかった、希少な存在。感謝と共に、ご冥福をお祈りします。