いんぼう
今の流行らしい。
イマイチしっくりと来ない。
ツイッター上では、陰謀説という言葉が、流行しているらしい。
全て裏で誰かが糸を引いている、それが陰謀説。ジャナーリスティックなヒト達は、それを否定している。
その陰謀説を否定している。
確かに、全て裏で糸を引いているかと言えば、そんなコトはない。
実際には、個々で動いている結果が、そうなっているだけ。ただ、陰謀説というのを全否定するなら、それもやり過ぎ。
東電の原発事故は、多くの隠蔽を生み出した。
なぜ、隠蔽したかと言えば、そうであるべきに沿ったから。
東電のそうであるべきと言うのは、原発は安全ですという原則。これに沿おうとした。
そこから外れるモノは、認められない。
そこで、事実起こってしまったコトを、安全ですという原則にそうように、シナリオを作った。
場当たり的に作られたシナリオは、程度の低いモノで、何度も変わっていく。
でも、東電の事故前の仕事には、安全ですというモノしかなかった。事故に対応する能力は、まるで無い。
その不慣れな東電が、なんとかシナリオを作り、関係団体にシナリオ通り動いて貰おうとする。
それは、ある意味陰謀と言われても仕方がない要素。陰謀説も、全く間違っているワケではない。
東電はチカラを持つ。そのチカラを使って、真実をシナリオ通りに動かそうとしたなら、それは陰謀。
政府や、検察など、権限を持つモノがそれを使って、真実をねじ曲げたのならそれも陰謀と言える。
結局東電には、能力がなかった。火事が起こっているのに、消防士が火事は起きていませんというようなもの。
放射線に対して、それを防ぐ組織は、まだ人類の中で存在しない。それが本当の問題。
ジャーナリスティックなヒト達が、陰謀説といってそこで否定してしまうと、そこまで辿り着けない。
物事の本質まで、辿り着けない。それがジャーナリストの限界かもしれない。
確かに誰かの陰謀だというヒトは、悪者をつくってそれで満足しているヒトもいる。
それでは何も解決しないし、ただの憂さ晴らし。それは否定してもイイと思う。
でも、それを否定しているだけでは、大切な所までは辿り着けない。
大切なのは、人類のチカラで、まだ放射性物質を完全にコントロール出来ないコト。
バラ巻かれたその悪魔に対しては、お手上げであるというコト。
そして、それが引き起こすコトも、完全には分かっていないコト。それが大切な事実。
その上でどうするかというコト。原発を無くした場合でも、エネルギーをどうするのか。
さらに、バラ巻かれた放射性物質を、無効化できない限り、安全ではない。
東京電力に安全という言葉は使わせるべきでないし、カラダに影響はないという表現も、禁止するべき。
政府や、検察、東電。彼らは、認めては成り立たない部分を持つ。それは人情論。
検察は、罪の無いヒトを、逮捕したと認めると成り立たない。検察が間違うと成り立たない。
そこで、罪の無いヒトでも逮捕したならば、改ざんしてでも犯罪者にしてしまう。それは人情論。
その人情論は、真実をねじ曲げる。それが問題。その真実をねじ曲げる過程で、シナリオは作られている。
シナリオはある意味陰謀。でも問題があるのは、人情論。真実をねじ曲げてしまう、ヒトの体裁。
陰謀は、シナリオ。真実をねじ曲げる陰謀は、そこココに転がっている。それを意識下に上げてから、考えた方がイイ。真実がねじ曲げられないように。