れんけつ
憎んでも当然。
なのに、憎まない。
自分の中で納得出来ている、当然の考え。その考えの連結が、切り替わる時がある。
憎まれて当然のコトをした。それは、どう考えても誤りであり、憎まれるコトは自分でも納得している。
でも、何一つ憎まれなかったとする。そこで、今までの自分の考えが全てでないコトを知り、混乱する。
なぜそんなコトが出来るのか、どうしてそんな考えになれるのか。
自分の内側には無い要素。外側にある未知の要素と知り、自分が当然としていた考えが、狭いと気づく。
その時、連結が外れ、新たに外側の考えに繋がる。
出来る限り自分の考えの内側で対応したがるが、そこに無い考えと出逢った場合、自分の外の考えに伸びていく。
そうして自分の外側に、未知の世界が広がっているコトを、突きつけられる。
コレは子供の頃から同じ。
子供の頃は、何も出来ないので、甘えていられる。ずっと甘えていられるモノだと、疑わない。
でも、自分と同い年の友達が、自分だけのチカラでいろいろとやっているのを見て、連結が切り替わる。
友達は、甘えずに自分のチカラでやっている。それを見て、甘えてイイと思い込んでいた自分が混乱する。
このままではイケないのかもと、思い始める。自分も、自分のチカラでやらないとイケない、そう考え出す。
友達と出会うと、連結の切り替えは頻繁に起こり、どんどん自分が広がっていく。
子供の成長は、それで早い。大人になると、ある程度完成されてしまうので、なかなか連結が切り替わらず、成長できない。
それでもたまに、頭を大きな石で殴られたような衝撃、という表現で連結が切り替わる時がある。
おそらく子供の頃も、大きな石で殴られたくらいの衝撃は、あるのだと思う。が、頻繁なので慣れてしまうンだろう思う。
大人になるほどに、頻度が下がり、とんでも無い衝撃として頭を打ち付けるコトになる。
育ってきた環境で、自分が摂取してきたモノも変わる。
それが、他のヒトと出逢うコトで、連結の切り替わりが起こり、平均化されていく。
平均化されながら丸くなり、どんどん広がりをみせていく。
ヒトがマネるというのは、連結を切り換え、自分の世界を広げる行為かもしれない。
マネながら、小さな自分を壊し、少しずつ大きくしていく。そうして、成長していくのかもしれない。
もちろんその途中には、してはイケないようなコトをマネしてしまう場合もある。
それも成長途中の大切な要素で、ただマネるのではなく、自分で判断する。その能力を養う為に必要と言える。
成長とは、壊しながら、繋げながら大きくなっていくコトかもしれない。
意識しないが、確かにそうやって大きくなってきた気がする。
いろんなヒトとの出逢いで、狭かった自分の世界を広げようと思う。新しい連結に、切り換えていこうと思う。
連結は、成長器。人によって大切なモノが違う。自分の外側にある考えを貰って、自分を大きくさせる。それは最初から備わっている、ヒトの能力。