り
当てにならない。
ひとつの都合で、全て崩れる。
理は、当てにならない。万全でないと、機能してはなくれない。
全ては理通り、進む。疑いようもない事実。
ただ、それは万全であるという条件付き。
ひとつの都合、不確定要素により、簡単にひしゃげてしまう。
理というのは、あくまで理想論で、かなり貧弱なモノ。
貧弱な理のために、努力して万全を作る。万全という作られた世界で、理は絶対になれる。
この世界は、不確定要素に溢れている。不確定要素が、支配していると言ってもイイ。
それでも、努力して万全を作りあげている。非常に頭の下がる行い。
その努力が作りあげた、幻想の中で私たちは生きている。
そして、それが当然のように、暮らしを営んでいる。本来は幻想なのに。
その幻想が崩れる時がある。大きな災害に見舞われた時。
この時、ヒトが努力して作りあげた幻想は、いとも簡単にメチャメチャになる。
絶対である理は崩れ、当然である暮らしは、不確定要素の中に落ちてしまう。
もともとが不確定に満ちているので、そこに戻っただけのコト。
それでも、幻想の中にどっぷり浸かってしまっているので、大いに戸惑う。
絶対は安心感を生むが、それが崩れていく。安心できていたコトが、幻想と気づく。
ならばどうすればいい。理は、幻想でしかない。
万全の中でしか、理は絶対の振る舞いが出来ない。
ならば、万全でなくても、自分が動じないように、自分の方を変化させるしかない。
どんなコトが起ころうが、自分が朗らかでいられるよう、意識する。
誰かを責めたくなるが、それはワナ。そのワナにまんまとはまっている。
朗らかという状態は、周りにも自分にも、良い影響しか与えない。なのでそれを演じる。
朗らかを、演じ通す。これはかなり難しい。
本当に辛い時でも、イヤなコトをされた時でも、朗らかでいるという意識は、相当強固でないといけない。
ただ、すべてが万全であった時でも、朗らかになれるワケではない。
万全であっても、不平や不満を漏らすコトは、よくある事実。つまりは自分の心持ち次第。
朗らかという、自分の状態を保つ。どんな状況であっても。
それはとんでもなく難しく、無理がある状態。でもその意識だけが、ワナに掛からない唯一の方法。
出来なくても、意識する。不確定が支配すれば、理には頼れないから。
理は、幻想。どんな状況でも、朗らかを意識する。理に頼れない分だけ、自分に打たれ強い改造を施す。