えすかれーしょん

そんざい

そんざい

否定する。

否定されるべきではない。

存在そのモノは、よく否定される。でも、否定されるべきではない。

存在するだけで、ヒトを不幸に出来るヒトはいない。

ヒトを不幸にするには、チカラがいる。存在するだけでは、ダレもそんなチカラは持たない。

存在を否定したり、逆に賛美したりするが、それをするべきなのは行動の方。

否定されたり、賛美されるヒトは、それだけの行動をしている。

意識的にしろ、無意識にしろ、そうなる行動をとっている。

もし他のヒトを不幸にしている人が居るとすれば、それは行動による結果であって、存在自体ではない。

つまりは、努力したい。

結局、行い次第。自分次第。

確かに存在の段階でも、差は付いている。

スタートは同じとは言えない。でも、最終的には、行動の善し悪しに落ち着く。

存在の段階で有利不利はあるかもしれないが、それは最初だけ。ほんの皮一枚。

皮一枚破れば、あとは行動。行動を見て、心地良いか、悪いかで判断される。

ただ、行動で厄介なのは、そのヒトの自由に任されるという点。

どんな行動も、思いつきで出来てしまう。それでヒトは、行動で判断しようとしない。

あまりに不安定な要素の為に、どうしても存在で固定して判断するカタチをとる。

存在という、変化しにくいモノに押し込めないと、判断が出来ない。

実はこれも、かなり問題があるやり方。なぜならば、存在というのはそのヒト全部。

存在を否定してしまうコトは、そのヒトを全否定するコトになる。

全否定されてしまうと、ナニがどう悪いのかも見失って、自分はいない方がイイのではと思い詰めてしまう。

コレはよくあるコト。よくある間違い。

行動が不安定な為に、存在という分かりやすくて動かないモノを基準とするが為の、間違い。

存在だけで、ヒトは不幸にも幸せにもしない。存在だけなら、石コロと同じ。

石コロを否定するだろうか。邪魔であっても、どかせば良いだけ。石コロ自体を、否定しても仕方がない。

否定されるべきなのは、行動。賞賛されるべきなのも、行動。

ヒトも存在自体を否定しても、仕方がない。賞賛しても仕方がない。

行動を否定、賞賛する。行動自体は、自由。つまり良くもなり、悪くもなる。

その時その時の、自分にかかっている。

油断できないし、楽も出来ない。一生努めていくモノ。努力していくモノ。

存在は、無力。幸せや不幸にするチカラは、行動が受け持つ。全否定は愚かしいが、よくやってしまう間違い。

-えすかれーしょん