かんぜんみんかん
公共というモノが、無くなる日。
公務員も居なくなる。
完全民間の社会が出来たら、どうだろう。
公務員は居ない。全て民間。
ゴミの収集なども、民間でやるようになる。もちろんお金を支払う。
お金を支払うが、その支払先は、自分で決められる。いくつかの業者があれば、選ぶコトが出来る。
どのように処理をしているのか。どのくらいリサイクルをしてくれるのか。
もちろん最初はただ焼却するだけ。不法投棄する業者よりは、焼却する業者の方がマシ。
でも、リサイクルをしてくれる業者が現れれば、そちらに傾く。
さらに無料で引き取る業者、お金をくれる業者が出てくれば、そちらに向かう。
お金をくれるというのは、ゴミではなく資源化した証拠。そうなれば最終形。
それが可能かどうかは分からないが、公共ではそこまで行かない。
道路なども、有料になる。でも、その度にお金を払うのは現実的ではない。
先払いの、パス方式。お金を払っているので、道路案内も、分かりやすく工夫される。
渋滞に対して、完全民間になったら、どう対処するだろう。
渋滞は予想出来るモノもある。道の途中でもトイレが出来る場所をつくり、途中離脱できる緊急用の道路も作るかもしれない。
さらに渋滞を根本から解決するような、アイディアも出てくるかもしれない。
流通可能量よりも、流入量が多くなれば、渋滞は必ず起こる。
それは高速の入り口で知らせるコトが、出来るハズ。
事故なども、流通可能量を少なくする。その段階で、流入を制限するなどの方式も、取られるかもしれない。
そこが通れなくなった時の、より良いルート案内もしてくれるようになる気がする。
インターネットは、いつでもすいている所を通る。実際の道路も同じように、すいている所に、案内してくれるように、電光表示板で知らせてくれる。そうなるかもしれない。
道路などは大きな資本が必要だが、競争があり、選べるようになれば、より良いサービスの所に流れてくれるハズ。
どうやら、競争というのは知恵が入り込む場所が、あるというコトかもしれない。
まだ思いつきで、考えている量も少しだが、それでも面白いアイディアは沢山出てくる。
公共では、おそらくいつまでたってもそれは出てこない。どうしてだろう。
簡単な話。やらなくてもいいから。やらなくても、給料をもらえるから。
公共は、利用者が最低限困らなければ、それで済む。それ以上を求める必要はない。
逆により良くしようと挑戦すれば、みんなから足を引っぱられる。もしもそれで失敗すれば、責任を取らないといけないから。
完全民間と真逆。民間は、生き残りゲーム。安定期もあるが、そこでは少しずつ衰えて質が下がっている。
安定期は、向上していないコト。向上していない時は、少しずつ衰えている時。
ヒトは、生きるか死ぬかでないと、仕事をしないのかもしれない。ザンネンだけど、それが現実だと思う。
公共でなんだこれ?が多いのは、彼らが安定して給料を貰えるからだと思う。そこが民間と違う。
民間は、生き残る為に必死で考える。より良いモノを出そうとする。その危機感の量だけが、圧倒的に違う。
どうもニンゲンは、生きるか死ぬかでないと、考えない。でも、実際死んでしまってもいけない。
実際死んでしまうような状況だと、良からぬコトを考えない。犯罪などにいく場合も出て来てしまう。
生きるコトは前提で、生きるか死ぬか。
生きるか死ぬかの死線。その上で、一番能力は発揮できる。
死んではいけないし、安定してもいけない。その死線をどう構築し、維持していくか。
民間と違い、公共は知恵が入る場所が無く、より良くなる為の挑戦もしない。悲しいけど、現実のはなし。
完全民間は、イメージだけで良いので、システム化したい。公共への甘えも捨て、自分たちでアイディアを出し合う。
生きるか死ぬかの死線に身を置いて、どうするべきかのアイディアを、捻り出していくシステム。
完全民間は、生き残り。死線の中でしか、より良いモノは出て来ない。安定は、衰退。厳しすぎるが、現実。