ほうかい
安っぽい。
裏側が見えて、うすっぺらと感じる。
報道というモノが、近々崩壊してしまうように思う。あまりにも安っぽいと、感じるようになってきた。
ネットの情報は当てにならない。うさんくさいモノと、思っていた。
とても規模が小さく、ウソも多い。TVなどと比べると、アンダーグラウンドでマイナーな弱いメディア。そう思っていた。
でもジャーナリスト達の、Twitter上でのマスコミ批判を見ると、報道の固定化された暗闇も、感じ取れてくる。
報道自体も、ウラ側はアンダーグラウンドと言ってイイ。
とくにTVは、スポンサー商売なので、更なるアンダーグラウンドを、内包してしまっている。
それが見えた途端、安っぽくて薄っぺらと思えて仕方がない。
意外と早く、地殻変動は起きてしまう予感はする。
TVの報道は、もう崩壊への道を、進んでいる。
アンダーグラウンドな部分は、その業界が持つ特性。そうそう簡単に、変えられはしない。
一度崩壊して、作り直した方が、良いモノに変わりやすいとも思う。
報道だけは、手心を加えてはいけないモノ。歪曲させているならば、それは報道ではない。
TVしかなかった時は、手心を加えているなど、思いもしなかった。
でも、ネットが出て来て、福島の原発事故が起きて、報道の歪曲ぶりが見えてしまった。
報道は真実を伝えるモノ。ジャーナリストも、真実を伝える存在。
ただ、人がするコトなので、偏りはある。間違えるコトもある。
情報元が、すべて真実を出してくれているという、保障もない。
その中で、報道はどうあるべきか。警察とは違って、尋問は出来ない。ただ、インタビューだけ。
ならば、それをそのまま伝えるしかない。報道やジャーナリストの限界。真実だけで、手心は加えられない。
自分の考えは持っていても、提案はしない。真実を紹介して、批判するのがジャーナリスト。
提案するとなると、政治になる。ちなみに野党は、批判している所からすると、ジャーナリスト。
与党の中でも、批判するヒトは、ジャーナリストと言える。提案する人は、非常に少ない。
提案する内容も、ありきたりで、官僚がつくったようなレベルのモノ。官僚しか、政治をしているニンゲンは、居ないのだろうと思う。
そこも崩壊させるべきだが、なかなかそれは難しい。本人達すら気づいていない。
自分たちがやっているコトが、政治ではなくジャーナリストと変わらない事実。
看板は報道。看板は政治。報道でないモノが、報道の看板を掲げ、政治でないモノが、政治の看板を掲げている。
長年やってきたやり方で、自分たちのしているコトが、ズレてしまっているなど思ってもいない。
看板に偽りあり。中身とのズレが、実は相当大きい。
それは不信感を生む。政治に対しても、TVの報道に対しても、強い不信感が湧き上がっている。
TVの報道も、近々崩壊する。政治は、毎回崩壊し続けている。崩壊をくり返している。
政治の崩壊は、何の改善も生まないままだが、TV報道は、改善して欲しいと願う。
看板通り。それに近づけるように、再構築を願う。
崩壊は、報道。看板と中身が違のは裏切りで、不信感が溜まる。気づき始めたら、崩壊は早い。