りーだーえらび
知ではない。
理でもない。
リーダー選びというのは、どうするべきか。基準は知ではなく、理でもない。
リーダーに求められるモノは、勘。
もしも知であるならば、分かりやすい。知というのは数字で、表せる。数値が高い者がなればいい。
でも、リーダーに求めるモノは、知ではない。数値が高くても、リーダーの資質とは違う。
理であるなら、どうだろう。リーダーに求めるモノが、理なら、誰でも良い。
理をキチッと押さえてさえいれば、誰がなっても、同じ結果になる。
一から十まで、理で対応すれば、必ず同じ良い結果が出る。
逆に言うと、理なら、リーダーなど要らない。理で、全て解決すれば良いだけのコト。
その場その場で、必要なヒトが、解決すればいい。
理だけなら、リーダーは要らない。でも、理だけでは解決できないコトもある。
それは、不確定要素。決まり切ったコトであるなら、対応できる。
でもそれを越えた段階で、理ではどうにもならない。その時点で判断しようとしても、無理な話。
結局、不確定要素など、答えが分からない時、判断に必要なモノは、勘。
リーダーの資質に必要なモノは訊かれれば、勘だと答える。
そんな物リーダーに求めて大丈夫なのかと思うが、案外当たっている。
勘というのは、記憶。それまでの蓄積がモノをいう。
とするならば、バカに出来ない。経験の記憶の蓄積。それが勘となっている。
未知の状態や、不確定なのに判断しなければならないとすると、経験を裏付けにした勘が有効になる。
リーダーの資質に一番必要なのは、勘。その他にもいろいろあるが、一番は勘。
判断を迫られるのが、リーダー。迷いも許されない。右か左か、上か下か。
本来なら、理を持って判断する。理なら何より的確。それに越したコトはない。
そう考えると、リーダーは必要ないハズだが、みんなリーダーを求める。
リーダーに押しつける。
適当にリーダーを決め、持ち上げて、その資質がないと分かって、引きずり落とす。
そしてまた、リーダーを適当に決めるの、くり返し。
本当は理だけで良い。リーダーは要らない。
リーダーを求めるのは、無責任の表れ。リーダーの能力不足を指摘するが、そんなコト最初から分かっているコト。
八つ裂きにする為だけにリーダーが必要なら、それは生け贄。
リーダーというのは、生け贄でしかない。
持ち上げて、浮かれさせるが、結局引きずり落とす。
難題にたじろいて、ナニかをしないといけないとなった時、一つの方法がリーダー選び。
でも最終的には、もう一つの方法の生け贄と同じ末路を辿る。
勘も理もないリーダーなら、滅びるのは早い。持ち上げられている期間も短い。
もうやめた方がイイ。適当なリーダー選び。無責任なリーダー求め。
求めるべくは、リーダーでなく解決。解決策を出させて、選べばいい。あとは実行して、成果を確認。
上手くいかなければ、次の解決策。それで済む。問題毎に、解決策。沢山居て良い。
1人に絞るコトが、間違い。解決策を並べないのが間違い。並べて選ぶのが、まっとうなやり口。
リーダー選びは、生け贄。やはりリーダーは要らない。解決だけ、追い求める。リーダー求め自体、ゆるさの証明。