てごたえ
期待してしまう。
実感として感じたい。
手応えなんて感じないまま、終わってしまう。手応えを欲しがる自分は、厚かましい。
大満足。手応えが全くなくても、それで幸せ。
全く何も無いまま、終わってしまう。それが人生ってものかもしれない。
いや、本当は沢山ある。手応えを感じようと思えば、存分に感じられる。
でも、それを感じたら堕落するだけ。高揚して、空を飛んで、おろそかになり、怠慢に落ち着く。
それは望まない。
だったら手応えなんか要らない。実感したい気持ちが、厚かましい。
手応えなんか無くたって、結構いろいろとやれている。
手応えなんて、過去を振り返って悦に浸るだけのモノ。自己満足でしかない。
自分のやったコトに対しての、見返りを欲する気持ちが、手応え。
でも世の中は、そんなモノ用意されていないから、何事もなかったように通り過ぎていく。
映画のような作り物なら、ちゃんと用意されていて、手応えを感じるよう仕組んである。
現実には無い分、作り物では用意してある。気持ち良いように、仕掛けてる。
現実世界は、何ともサラリと進んでいく。そういうモノで、それで大満足だし幸せというモノ。
見返りを感じるモノは、おそらく作り物。誰かが仕掛けてくれている。
仕掛けてくれているというコトは、そのヒトも手応えの無さを感じていたのだろうと、予想出来る。
みんなあまりにも区切りなく、サラリと流れてしまうので、戸惑って生きているのだろうと思う。
欲しいなら、自分で作るか、それともサラリと流れるこの状態を、満足とするか。どちらでも良い。
何にもないけど、沢山ある。何にもないけど、大満足と置けば、何かがあった時は、更なる喜びがオマケされる。
自分の置き場所。期待や見返りのハードルは、下げるに越したコトはない。
そんなもん。それで大満足。それで幸せ。を、自分に仕掛けておく。
少しだけ、肩の力が抜ける。世の中を、恨まなくなる。
手応えは、見返り。サラリと流れてしまう世の中で、大満足。自分のしたコトが空振りでも、振れている。その事実だけで幸せ。