いめーじ
言葉はすぐ、変換される。
数珠つなぎの言葉を受け取り、展開する。
言葉という音声は、耳から入り、脳でイメージとして展開される。
数珠つなぎの言葉が、イメージとして広がり、意味が通じるように構成されていく。
目的は、発した人が言いたいコトを、的確に捉えるコト。
イメージを整理して、意味がおかしくなるモノは消されて、意味が通じる似た音のモノが、補完される。
話し手が、言葉を間違えるコトもよくある。この場合でも、意味が通じるように、言い間違えを指摘出来る。
言葉は、音声や文字。その段階では、記号や空気の振動でしかない。
それを耳や目で受け取り、脳が処理する。
脳がイメージ化して組み立てる。まずはイメージ。そして、それが成り立つのか、高速にチェックされる。
相手の言いたいコトは文法などでは、理解していない。イメージで成立するか、しないのか。
文法は、文章を書く時だけ、その約束事の一部を使う程度。
あくまで、イメージで矛盾しないかどうかが、重要になる。
全てはイメージの中で、成立する。イメージは、頭の中で許された、もう一つの世界。
言葉を入れるだけで、もう一つの世界が、頭の中で広がっていく。
言葉が理解出来るというのは、イメージ出来るというコト。そして、音声を言葉として、キャッチ出来るというコト。
キャッチ出来なくても、イメージ出来なくても、言葉は理解出来ない。
イメージが不完全なので、意味として成立しない。
文法や単語で、母国語に変換すると、スローになる。とても追いつかない。
可能ならば、イメージ化する。その方がスピードが増す。
やり方はイメージ化。母国語にしても構わないが、イメージするコトを忘れてはいけない。
イメージは頭の中の、もう一つの世界。そのもう一つの世界に、その言葉のモノを、出現させる。
出現させたモノ達で、意味は出来上がる。意味は頭の中の舞台に、出演者を並べるようなモノ。
出演者が的確に並んで、舞台が出来上がる。
文法で学習するとどうなるか。闇の中で、翻訳された文字だけが並ぶ。
一つの言葉で、いくつかの意味を含む場合もあり、その組み合わせを考えると、気が遠くなる。
そんなコトをやってる内に、間に合わなくなる。追いつかないのは、そう考えると当然のコト。
言葉を言葉に翻訳するのではなく、言葉をイメージに翻訳する。
イメージの方が断然速い。言葉に意味がいくつかあっても、イメージならば、ひと続きですぐに出せる。
お勉強に毒されている。お勉強にし過ぎている。
言葉から言葉への翻訳は、お勉強。言葉からイメージへ翻訳は、日常。
言葉をお勉強という魔の手から、取り戻したい。言葉は日常の為にある。
お勉強の為のモノではないので、待ってはくれないし、逆に点数をつけるコトもない。
イメージ化し、使う時にまた音声として発する。日常なので、使わないといけない。
言葉→イメージ。イメージ→言葉は、セットで日常のモノ。言い間違い、勘違いすら日常ではセットになる。
イメージは、もう一つの世界。言葉は日常の道具であり、ヒトを選別して、優劣をつける為のモノでは無い。その国のコトバ、イメージ、ニチジョウに浸かるだけでいい。