よこになる
目を閉じる。
カラダの活動は、最小限になる。
疲れれば横になりたい。目を閉じカラダの活動を、最小限にする。
一番カラダが休まる体勢。横になるカタチ。
乱れた呼吸も、整えられていく。カラダの活動は最小限。欠乏していた酸素が、体中に充填される。
カラダからの苦しいという信号もなくなり、気持ち的にも落ち着いていく。
横になれば、景色は動かない。天井を見上げるだけ。それもすぐ飽きる。
脳に送られる情報が、横になるコトで、極端に少なくなる。
動いているならば、情報が入ってくる。それに対応しなければイケない。
意識しないでも、脳は勝手に活動する。
横になって、入ってくる情報が極端に少なくなれば、脳の活動も少なくなる。
脳も休息出来る。
入ってくる情報が少なくなれば、脳はすべき仕事をするコトが出来る。
一旦やめて、眠らせておいた仕事に、取りかかれる。
横になるのは、カラダや脳が出来る仕事の許容を越えた時、それを整えて、また活動出来るようになる為。
カラダも脳も、なかなか苦しいという信号を出さないが、機能は落ち込んでいくので、そこで気づく。
自分が、カラダや脳を、酷使させていたと。
酷使させていた後、横になるのはとても気持ちが良い。あの幸せな感覚は、なんだろうか。
酸素が充填されて、体中の細胞が喜んでいるからだろうか。それもあると思う。
辛いコトからの解放感からだろうか。それもある。
全身が喜んでいるあの感覚。襲ってくるあの眠気。
眠りというのは、自分の意志からも離れる状態。
カラダや脳が、意志の支配から離れて、本当に解放されるのが眠り。
脳やカラダが連携して、眠りに誘っていくのだと思う。自分たちが、解放され、調子を整える為に。
休息というのは、自分の意志で行う場合と、意志から離れる眠りと、どうやら2段階あるらしい。
カラダや脳も充填されれば、様々な刺激を求め、活動を促すが、酷使されて欠乏すると、休息を求める。
あくまで決定権は、意志であるが、カラダや脳もその都度欲求として、意識下に訴えてくる。
どうも、意識と、カラダや脳は、持ちつ持たれつの関係。
その持ちつ持たれつの関係の中で、ヒトは構成されてヒトとして活動出来ている。
意志は絶対で、好き勝手に出来る。脳は、勝手に動く。カラダも欲求を出す。
この三者が合わさって自分。
ちなみに、カラダや脳は、無意識にも働きかける。というよりも、カラダや脳が無意識を作っているのかもしれない。
意識出来る所など、氷山の一角。とても強い権限を持っているが、ほんのごくわずかに過ぎない。
それ以外の大部分を、カラダや脳が担っている予感がする。
意識とは、御神輿の上にのっけられただけの、存在なのかもしれない。
脳やカラダは従順で、裏切るコトはしない。でも、無意識としてコントロールもしているように思う。
そのテーマは、共に生きていく為。意識も、カラダも、脳も生きていかなければならないのは、同じ。
利害は生まれて死ぬまで、同じ。一致している。生きていく為の、システム。
それが意識と、カラダと、脳の三位一体の仕組み。
横になるは、充填。カラダや脳の為の時間。眠りの段階までいけば、完全に主導権は渡される。意識は、御神輿に過ぎない。