できない
時間のせいじゃない。
もう一度、自分を見返してみる。
出来ない理由は、時間ではない。でも、自分の中で時間のせいだと、信じている。
作業をする時は、時間が必要。時間を削れば、作業も削らなければイケない。
時間のせいにしている時、それだけの作業をしているだろうか。
作業といってもいろいろある。肉体を使う物質的作業や、イメージを積み重ねる思考、創造的作業など。
物質的な作業の場合は、時間を出来ない理由にしてイイかもしれない。
ある程度の工夫で、作業時間を短縮出来るかもしれないが、限界はある。
物質的作業は、目に見える。目に見えるのは確認しやすいというコト。改善や修正もしやすい。
それだけに、無駄も入りにくく、自覚出来るので時間のせいにはしない。
時間のせいなら、それは本当に時間がなかったというコトになる。
問題は、思考や想像という作業。コレは意図的に確認をする必要がある。
その作業の間に、どういう行動をとっているか。どういうイメージを持っているか。
けっこうイメージをしていると、あっちゃこっちゃに飛んでいる。全然関係ないコトが思いだされ、いろんな行動もとっている。
それが時間を使う。
明確に、イメージするコトが決まっており、頭の中で固まっている時は、さっとその作業は済んでしまう。
よそに考えが行くコトもなく、作業以外の行動もとらない。
どうやら時間のせいではなく、やるべきイメージが、固まっていないのが原因。
時間がかかるのは、寄り道をして逃げてしまっているからかもしれない。
固まってさえいれば、時間はかからない。ではどうすれば固まるのか。
もしもイメージを固めるコトが、簡単に出来れば、無駄な寄り道はしなくて済む。時間もかからない。
イメージを固める作業とは、どういうものだろう。
それはおそらく、自分がシックリとくるまで、さまざまを頭の中で想定するコト。
シックリと来ていれば、あとはそれを出力すればいい。シックリは、イメージが固まっている状態。
とすると、頭の中で想定する作業だけを、すればいいとなる。
時間のせいではない。想定する作業から、逃げていただけ。
あとは、様々を想定する作業の量を増やしていくだけ。その上で、自分がそれをし易いよう、工夫するだけ。
紙に書いた方が良いのか、お風呂やトイレが出易いのか、散歩すると出やすいのか。ヒトそれぞれに違う。
お風呂やトイレや散歩は、一度意識から離れる為の行為かもしれない。
その方が、求めているモノが出やすいのかもしれない。
そうなると、難しい。あえて寄り道をした方が良いとも言える。
確かに意識出来るワクは小さすぎる。そこから出た方が、広い視野で物事はイメージ出来る。
思考や想像の作業は、意識と無意識の間を行き交わなくてはイケない、高度な作業。
でも言えるのは、時間のせいではない。もともと困難なモノだと考えてイイ。
無意識に頼りすぎて、本当に何も考えていない時もある。それは時間の無駄であるのは間違いない。
でも、今まで存在しなかったモノほど、無意識にしないと出ない。より広い世界の中に、求めるモノはある。
悩ましい問題。逃げているのではなく、それでも生み出そうと、必死になっているのかもしれない。
そう考えると、みんなけなげに思えてくる。
時間を無駄にしてブラブラしていても、それも生みの苦しみ。
そして、ブラブラし過ぎて、様々を想定する作業から外れてしまうコトも事実。非常に難しい。
探しているのか、寄り道なのか。寄り道の方に行けば、世界は広がるが、探すコトから離れてしまうコトも多い。
そうならないように、引き留めておかなければならない。外れてはイケない、ラインがある。
そのラインを外れないように、もう一方で意識はいつでも持ち続けないとイケない。
無意識の中に入っても、引き留められるように、意識は潜ませておく。
意識を潜ませた上で、無意識の中に入り、様々に想定する作業をする。
そんなコト出来るのかというコトは別として(笑)、それを今日の答えとしたい。
出来ないは、当然。意識と無意識の両方が必要な、高度な行為。時間は足りている。もともと難しいだけ。